▲秋田県北秋田市阿仁戸鳥内棚田から打当マタギの猟場がある山々を望む

 「ブナ林と狩人の会:マタギサミット」は、中部東北地方の豪雪山岳地帯に点在するマタギ集落を中心に狩猟文化を研究している東北芸術工科大学田口洋美教授の提案によってはじめられた広域的山村交流会議。第1回は、1990(平成2)年3月、新潟県三面集落の公民館で開催された。

 当時は、三面集落、長野県秋山郷、秋田県阿仁の狩人ら36名が参加。以来、回を重ねるごとにマタギ関係者のネットワークが広がり、今年は、20回という歴史的な節目を迎えた。その記念すべき会は、2009年(平成21)年6月27日~28日、「マタギの本家」と言われる秋田県北秋田市阿仁で開催された。

 参加者は、長野県秋山郷、新潟県三面、山熊田、十日町市、山形県小国町五味沢、金目、大鳥、岩手県和賀、秋田県北秋田市阿仁、合川、森吉、鷹巣、大仙市豊岡、由利本荘市などマタギ関係者や研究者、マスコミ、NPO法人、行政、学生など約160名。

 2004年6月、第15回マタギサミットinさんぽくには、「邂逅の森」で山本周五郎賞を受賞した作家・熊谷達也さんが登場。「邂逅の森」は、大正から昭和の初め頃、秋田県阿仁町打当のマタギ・松橋富治の生涯を描いた長編小説である。その年の夏には、山本周五郎賞に続き、直木賞のダブル受賞の栄誉に輝いた。

 以来、「マタギの本家」と呼ばれ続けた阿仁は、「邂逅の森のふるさと」とも呼ばれるようになった。その北秋田市阿仁で開催されるのは、8年ぶりのことである。
マタギ発祥の地・北秋田市阿仁根子集落
マタギサミットが始まる前に根子集落を訪ねた
その目的は、村の高台に広がる棚田と旧根子小学校の校歌を確認するためだった
車一台しか通れない狭く暗いトンネルを抜けると、隠れ里のような根子集落が現れる

「秋田マタギ聞書」(武藤鉄城、慶友社)によれば、昭和11年の根子集落は、
戸数84戸、人口583人と記されている
現在は、戸数75戸、人口は177人・・・65歳以上の高齢化率は46%と高くなっている
▲阿仁根子を歩くMAP・・・「トンネルの向こうは日本の原風景 阿仁根子」
迷路のような根子集落を散策するには、大変便利なMAPである
▲築100年余の古民家二又荘・・・かつては茅葺きだった屋根は改装されている
内部は、マタギを生業としていた当時の暮らしを感じとることができる
宿泊希望の方は、TEL 0186-82-2400
▲根子山神社(1655年頃創立)・・・マタギの神様「山神様」を祀っている ▲根子神社・・・観音講を祀っている ▲背後の山に向かってのびる農道・・・菅笠を被った女性が鍬を担ぎ歩く姿に懐かしさがこみあげてくる
▲背後の棚田から村を望む
棚田周辺には栗の木が多く、花が満開で美しい
栗の果実は縄文時代の遺跡からも出てくるほど、古くから貴重な山の幸として利用されてきた

青森県三内丸山遺跡からも直径1mほどの栗材が出土している
栗材は腐りにくく耐久性があり、古くから有用材として珍重された

□阿仁マタギ・・・阿仁には、根子、比立内、打当の3つのマタギ集落がある
そのうち猟場が広い順に並べると、比立内、打当、根子となる
猟場が狭い集落ほど外へ出る(旅マタギ)傾向が強かったのは必然だったように思う
▲旧根子小学校と校歌
坂を上り、毎年8月14日に根子番楽が公開されるという旧小学校の前に立つ
立派な閉校記念碑に刻まれた校歌には・・・

「めぐる山河は うるわしく/やすらかな里 わが根子/
つたえゆかしき 番楽に/又鬼の面影を しのびつつ/学びいこうよ この窓に」

沿革をみれば、明治10年荒瀬小学校根子分教場として開設
昭和33年11月、校歌制定し披露式を挙行・・・平成10年3月、創立120年、閉校と記されていた
第20回ブナ林と狩人の会「マタギサミットin阿仁」 2009年6月27日~28日
▲15時、北秋田市ふるさと文化センターに懐かしの仲間が続々とやってきた ▲マタギの里・北秋田市津谷永光市長の歓迎のあいさつ ▲東北芸術工科大学田口洋美教授

 右の資料は、田口洋美先生が研究代表者となってまとめた成果報告書「少子高齢化時代における持続的資源利用型狩猟システムの開発に関する新領域研究」(平成18~20年度)

 この本の巻末に「否定されたマタギ」が綴られている

 「会を発足した昭和63年当時・・・日本社会は野生動物あるいは愛護運動が過熱してゆくプロセスにあり、野生動物を捕獲、捕殺する側である狩猟に携わる人びとは保護を推進する個人や集団から敵視され、また罵りといっていい言動を浴びせられていた・・・

 地域の伝統的狩猟を語る特集番組などが放送された日の深夜に、突然電話をかけてきて「動物殺し!」「可愛い動物を殺さないで!」などと罵声を浴びせていきなり切るというものだった・・・

 マタギサミットは、むら人の自己負担で賄われている。誰に強制されるわけではなく、むら人の意志によって継続されてきた・・・この19年間、一般参加者としてWWFJapan、自然保護協会、緑の地球防衛基金、日本野鳥の会、知床財団、尾瀬財団、自然環境研究センター、自然保護関連のNPO法人・・・数多くの友人や知人がこの会を支えてくれた」

基調講演「弘前藩におけるガバメントハンター」・・・村上一馬氏(仙台高校)
▲村上一馬さんの基調講演・・・弘前図書館に眠っていた古文書「弘前藩庁御国日記」・・・マタギ(猟師)の歴史を丹念に掘り起こし、狩猟関係の記録二千点以上の情報を収集し徹底的に解読分析した成果は、マタギの近世史研究の歴史に残る成果だと思う。やはり数が少なく古い記録ほど歴史的価値があるものはない。人類のルーツを辿れば、誰しも狩猟漁労採集の文化に行きつく。
▲第20回の表紙を飾ったのは故鈴木松治さん(阿仁打当)・・・「山っていうものは教わるっていうよりも一緒に歩ぐうちに一人でに覚えてぐものな・・・とにかく、山歩いて体で覚えるしかねぇんだ。経験積むこどが一番大事だべ。それと、自分で考えねぇとだめだ。」「マタギ-森と狩人の記録」(田口洋美著、慶友社) ▲「またき」が古文書に登場したのは1664年
碇関村の「御蔵またき」二人が鷹の巣で幼鳥を発見して山祝の銀子を与えられた・・・「御蔵またき」とは、藩の直轄地の百姓がマタギを兼務していたと考えられる
▲「又鬼(マタギ)」の表記・・・「またき」を漢字で書けば、昔から「又鬼」であったことが分かる。「またき」が訛って「マタギ」になったのだろうか・・・後にマタギを「猟師」と称するようになった。また、1701年にマタギが巻物を持っていたとの最古の記録もあるという。 ▲1701年、熊の胆の取扱規定・・・胆のうを破損しても包み直したり、血肉を加えたりすることを厳禁する。胆は巧者に干させよ・・・実に細かく胆の取り扱いを指示・・・本草学の進歩で熊の胆の需要が多くなると、偽造品が出回るようになったことを裏付ける記録でもある。
▲熊の月別捕獲数・・・1月~4月に全体の56%を捕獲、夏は少なく、10月に再び100頭を超えている。タテで夏の熊を獲るのは危険だったらしく、マタギが熊の逆襲によって大怪我を負った記録もある。 ▲弘前藩のマタギのタテ・・・マタギは鉄砲ではなくタテを使っていた。一方、アイヌは弓矢や毒矢を用いていた。双方が共同で熊狩りをすることもあったが、マタギが矢を用いた記録はないという。
▲昭和40年代に集落移転した元上小阿仁村萩形集落の古老が持っていたタテ(熊槍)
昨年、根子集落から分村したと言われる旧萩形集落の古老と出会った
その右手に持っていた「熊槍」に釘付けとなった

熊槍のことをマタギは、「タテ」という
クワ、イタヤ、ナラなどの木の柄に穂先を取り付けたもので、銃が普及してからも長く携帯されていた
昔は熊の穴狩りなどに利用された・・・大木の穴口から出るクマの月の輪を、シカリがタテで突いた

近代の熊槍は、
阿仁の袋ナガサ・・・穂を外すと山刀として使用できるように改良されている
この古老が持っていたものは、旧熊槍で、熊を突き刺すための槍そのものだった
▲1702~1736年の35年間に1000頭の熊を捕獲・・・熊を捕獲した猟師は109名。10頭以上捕獲した猟師は30名で、全体の77%を捕獲。年平均1頭以上捕獲していた猟師は6名に過ぎない。 ▲元禄15年に猟師は115名いたが、90年ほど後に36名に激減・・・18世紀末以降は40名前後で推移。熊を1頭も獲らない名目のみの猟師を解役し、熊を捕獲している猟師のみに限定して公認するようになったためであろう。
▲猟師の平均持高は18石(2.24ha)・・・猟師の身分は高持ちの百姓で農業を主生業としていた。1786年、数日間熊狩りで駆け回り、収穫なく帰れば飯料や妻子が困窮すると訴えている。 ▲1792年、猟師が遠山に行かないので、秋田猟師が来て熊を獲っている。18世紀末に、他領の猟師が熊を密猟している記録が認められる・・・いわゆる旅マタギが記録されている。
▲1796年
・百姓・高無から熊狩りの心得のある者を吟味して、猟師を任命し、鑑札を交付する
・1~3月の堅雪のうちに廻山に精を出し、熊狩りをせよ
・猟師の組合にコマタギを連れるのは自由である

・猟師3人1組で年に熊を3頭獲れ
・熊狩りばかりしていると、妻子が難儀するので、手当を増額する
・熊狩りのときには近くの村で米を借りて良い

猟師には諸郷役の免除、高懸銀の負担が軽減され、熊を捕獲すれば相応の代償が与えられた
熊を3頭以上獲れば褒賞も与え、猟師頭には扶持米をも支給していた

「こうした施策は、猟師を保護することで、権力側が抱え込もうとする姿勢が色濃く、
現代のガバメント・ハンターと構造が共通していると言える」
近世の藩には、一般の猟師と藩に雇われたセミプロの猟師がいたことが分かる
パネルディスカッション・・・「狩猟と駆除」
春グマ猟は、村をあげてやる・・・それは村の大切な行事で、駆除というのはピンとこない
春グマ猟には神聖なものがある・・・それが文化だ
春グマ猟をやれば、山菜採りなどの人身事故を防げるのではないか

戸堀マタギは、昨年11月、町部に出てきた130kgの大クマを仕留めた話をした
町部に出てくるクマが多くなっているが、なぜ大きなクマが町部に降りてくるのか
・・・恐らく、奥山のクマではなく、里に居着いたクマが大きくなって降りてきたのではないか

クマをさばく時は村人が見に来て、皆で喜び合う・・・村人には狩猟と駆除の区別はある
夏の農作物被害に対して、オリを使う・・・ハチミツで誘引するオリを使うことが、個体数現象の大きな要因

長野県秋山郷・・・栄村は伝統的狩猟技術があり、春グマ猟はOK
年間の全体枠を設定し、春グマ猟で捕獲した残りを夏に駆除
秋田では千頭以下になれば自粛、それ以上になれば10%を捕獲数と設定している

阿仁猟友会長松橋光雄さん・・・
クマが人間になじんでいる。里山に冬眠し、いきなり人家に出没する。
(それはクマが狂ったのではなく、人間社会が狂ってきた証左ではないだろうか)

松橋会長は、語気を強めて訴える
クマに対する教育が足りないからだ。人間が怖いことをクマに教えないとダメだ。
伝統的なマタギ文化も検討していただきたいと。

駆除が主体で、狩猟はオプションになっている・・・
狩猟者にしてみれば本末転倒ではないか

(株)野生動物保護管理事務所の羽澄俊裕さんの話には迫力を感じた・・・
もはや狩猟者を増やさないとどうにもならない所まできている
シカの出没が増えて、丹沢、秩父の森は丸裸に、生物多様性が崩壊している

捕る猟師が激減しているが、管理捕獲を徹底すべき。そして技術の伝承をすべき。
もはや有害駆除では抑制できない。
クマをオリワナ捕獲し、生け捕り放獣をしても、また出てきてしまう。人間が怖いものだという学習は重要。

山林作業で山に人が多く入っていればいいが、廃村化に向かっている現代ではそれも期待できない
これまで小手先で対応してきたが、もはや抜本的改革が急務

春グマ猟の自粛は、技術を伝承する機会の喪失、後継者を育成する機会の喪失を招く
さらには技術も劣化し、勘も鈍る・・・春グマ猟の重要性を再認識すべき
丹沢、秩父ではとんでもないことになっている・・・真剣に考えるべき時代に突入している
夜の部・・・マタギ交流会
▲北秋田市阿仁猟友会・松橋光雄会長のあいさつ ▲タケノコとクマ肉の煮つけ ▲クマの内臓・・・コリコリした歯応え、噛めば噛むほど味が出て絶品
▲岩魚の唐揚げ ▲阿仁町特産のどぶろくと和賀猟友会清水さん特製・シカ肉の燻製 ▲その他阿仁の地産地消の豪華料理で酒を酌み交わす
▲国重要無形民俗文化財「根子番楽」
源平合戦の遺臣または落人が根子に移り住んで伝えたとの言い伝えがある
歌詞の内容が文学的に優れていること、舞いの形式が能楽の先駆をなす幸若舞以前であること
舞いは、勇壮活発な武士舞と古雅で静かな古典的舞の二つ・・・いつ観劇しても民俗文化の重さをヒシヒシと感じる

阿仁比立内、打当の猟場視察
▲比立内山神社(文化5年・1808年創立)・・・杉ノ沢林道入口付近にある
山神のことを打当、比立内のマタギは「ヤマノカミ」、
根子のマタギは「サンジンサマ」と呼ぶ

山の神は、山の全てを支配している
だからその怒りを受けないように細心の注意を払う
山の神は、マタギに獲物を授けるだけでなく、遭難を未然に防ぎ、難儀している時は救ってくれる
マタギは、山の神に守られていると信じ、山の神を心の拠り所としている

旅マタギや山に泊って猟をする時は、1週間前に山神様のお宮詣りをする
シカリがお神酒を供えて「猟がありますように、仲間が健康でありますように」と祈念する
柏手を打ったあと一同は、それにならって拝み、全員で、お神酒をシカリから順番に回し飲みする
その後シカリの家で本祝いをやる
▲比立内マタギの猟場周辺MAP
比立内川は、小岱倉沢とカラミナイ沢に分かれる
カラミナイ沢は、桧山沢が合流すると真角沢となる
真角沢沿いの河北林道を尾根に向かって走り、標高約560m地点・・・正面に白子森(1179m)の絶景が見える

その白子森に源を発する大深沢、鳥坂沢、天狗ノ又沢一帯は、比立内マタギの猟場である
天狗ノ又沢の山の向こうは、上小阿仁村大旭又沢支流大蓋沢である
河北林道を南下すると秋田市河辺の三内川へ(ただし今は通行不可)
▲大深沢左俣、7m滝
▲比立内マタギのナタ目・・・「熊取り 午後から雨降り」と刻まれている ▲大深沢のイワナとタケノコ ▲天狗ノ又沢のナメ滝
▲河北林道から白子森の猟場を望む・・・正面のピークが白子森、その真下の深い谷が大深沢である。クマがつきそうなクラが連なり絶好の猟場であることは一目瞭然。 ▲大深沢の右手の谷は鳥坂沢、その向こうの谷は天狗ノ又沢である。それらの支流が合わさった真下の谷が真角沢である。
▲大深沢巻き狩りの図
向待手(ムカイマッテ)・・・大深沢の左の尾根に陣取り、常に対岸の斜面の熊の動きとセコの動きを見張り
全体の行動を指図する合図役

沢セコ、中セコ、片セコ・・・獲物を追い出す係をセコと呼び、三者に分かれる
沢沿いに追い上げる者を沢セコ、斜面の中程から追い上げる者を中セコ、尾根沿いに追い上げる者を片セコと呼ぶ

プッパ・・・鉄砲を持った射手がそれぞれ定められた位置につく
ブッパがつく場所には名前がある・・・アリズカ、ヤッコ水池、枯松ノ先、佐平先、マンノ先、上コムラ、中コムラ、下コムラ

クラ・・・地形の悪い崖のような場所をクラと呼び、クマがつきやすい場所である
▲ハンドマイクで説明している方(右の写真)は、阿仁猟友会・松橋光雄会長
巻き狩りの図を指で指示している真ん中の方が松橋吉太郎さん

正面に見える白子森、大深沢の険谷と巻き狩りの図を見ながら説明を聞くと
巻き狩りには理想的な場所であることが分かる
▲神の山・森吉山を望む(1454m)
▲マタギ神社(岩井ノ又沢) ▲打当集落の山神神社

森吉山(1454m)からヒバクラ岳(1326m)、割沢森(1001m)、高場森(900m)の山々から源を発する
打当内川、岩井ノ又沢、中ノ又沢と立又沢の源流部一帯が打当マタギの猟場である
▲打当マタギの猟場MAP
打当川上流立又沢の右岸、両様森、六左衛門森周辺の猟場を視察
▲水尻滝、中滝のクラを望む
「マタギ-森と狩人の記録」(田口洋美著、慶友社)によれば、
昔は、両様、水尻滝、幸兵衛滝周辺は、玉川の仙北マタギの猟場だったという
▲橋の欄干にあった阿仁マタギの像
「これはマタギの宝だ」
▲ブナの実

ブナの森は、生物多様性にあふれ、山の恵みが最も豊かである
だからマタギは、クマ狩りだけを生業としていたのではない

冬の寒マタギは、カモシカ、サル猟、春の彼岸から春山では春グマ狩り、早春の山菜採り
田植えが終わると、ゼンマイ、タケノコ採り、夏はサクラマス、鮎・カジカ・ヤマメ・イワナなどの川漁・山漁
秋は稲刈り、木の実、薬草、きのこ狩り、秋グマ狩り・・・

さらに狩猟の対象は、ヤマウサギ、タヌキ、テン、バンドリ、キジ、ヤマドリなど
中小型の野生鳥獣全般にわたって獲っていたことを忘れてはならない
そうした山の命の循環、ブナ林の生物多様性の輪の中で生きてきた山棲み人である
▲マタギナガサ(西根打刃物製作所、北秋田市阿仁町荒瀬)
山刀のことをナガサと呼び、山に入る時は必ず腰に下げる
特に柄の部分が袋状になっているものをフクロサガサという
その穴に棒を差し込めばヤリとして使える

又鬼山刀の唯一の製作者だった西根稔さんは、残念ながら平成13年に亡くなった
現在は、故西根稔さんの弟弟子である北秋田市小又の西根登さんが製作、
販売は西根打刃物製作所(代表 西根誠子)が行っている(秋田県優良県産品)
▲日本の滝100選「安の滝」(中ノ又沢)・・・二段に落ちる滝を合わせて高さ約90m
森吉山系は、地形の悪いクラと美しい滝が多いのが特徴
立又峡谷の一ノ滝、二ノ滝、幸兵衛滝、中ノ滝、水尻滝、明神滝
中ノ又沢の安の滝、平滑ノ滝、金兵衛滝・・・奥森吉の桃洞滝、中ノ滝、男滝、兎滝、三階の滝、九階の滝など

奥阿仁の秘境を旅した菅江真澄は・・・
「水尻滝、幸兵衛滝、中ノ又の安の滝などと見るべきところは多いが、
流れが深く道も遠いので行かれなかった」と残念がるほど、昔は秘境中の秘境であった

故鈴木松治さんが歩いたルートの一例
打当~立又沢~猿倉森・嘉平治森・戸瀬ノ沼ノ沢~石黒沢・渋黒沢~玉川温泉~
ブナ森・熊谷地・大場谷地・焼山~八幡平~赤川温泉~熊ノ沢川~大場谷地~
三叉森・柴倉森~粒様川~連瀬沢~森吉山~打当内沢~打当

クマ狩りで歩く時は、1日30km~40kmは当たり前のように歩いたという
現代人からみれば、マタギが「仙人」に思えるほど、そのルートは長く険しい

参 考 文 献
「少子高齢化時代における持続的資源利用型狩猟システムの開発に関する新領域研究」(平成18~20年度)
「東北学第10号・・・弘前藩の猟師と熊狩り/村上一馬」(東北文化研究センター)
「マタギ-森と狩人の記録」(田口洋美著、慶友社)
「秋田マタギ聞書」(武藤鉄城著、慶友社)
「阿仁町史」(阿仁町史編纂委員会、阿仁町)
「森吉山麓 菅江真澄の旅」(モリトピア選書10、建設省東北地方建設局森吉山ダム工事事務所)

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