先人の想いを受け継ぐ者たち

―北秋田市阿仁 戸鳥内大野の棚田―

22.07.28

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カーブを抜けると、開けた視界にいっきに飛び込んでくる。

正面に森吉山をみて空を広く開き、天に向かって階段状に連なる200枚の水田。

北秋田市戸鳥内(ととりない)大野集落の棚田。人々は先人の志を今も大事に受け継いでいる。

美しき景観を守る助っ人たち

わたしが初めて棚田に足を踏み入れたのは、今年6月中旬の晴れた日だった。

北秋田市阿仁戸鳥内は、

50戸120人ほどが暮らす小さな地域で、

大野集落はうち20戸ほどの人が住んでいる。

「戸鳥内の棚田」と言われる棚田は、

この大野集落の人々が耕す田のことを指す。

標高およそ300m。

農作業は里よりも半月ほど時期が遅く、

棚田全体がまだ土の色を残し、点々とする

苗の緑が、その色を濃くする時を待っていた。

この日、棚田には草刈り機の音が響いていた。

戸鳥内と近い、同じく阿仁比立内に住む、

菊地茂雄さん(左)と鈴木誠一郎さん(右)。

数年前から棚田の所有者に頼まれて

こうして草を刈る手伝いをしている。

「もう一週間以上通っているかな。

同じ持ち主の田んぼでも

一か所に集まってないからそれが大変。」

美しき景観はこうして手をかけて創られる。

 棚田の歴史

今回、棚田の美しさの秘密を知りたくて北秋田市森吉庁舎を訪ねた。

ご対応して下さったのは、産業部農林課の柴田明弘さん棚田の所有者のひとりである。

   

柴田さんの話によると、

棚田が開かれたのは柴田さんの祖父の時代。

およそ100年の歴史があるという。

かつてこの場所は茅葺屋根のための

茅が植わる茅刈り場だった。

戦前の食料増産の時代、

この土地は茅刈り場から水田に姿を変え、

棚田はうまれた。

長方形の同程度の大きさの水田が200枚、

山腹に沿って整然と階段状に並んでいる。

かつて2200あったとされる田んぼは、

県内でも早い時期の昭和40年代、

経営構造改革事業で整備され、

大きな田が連なる現在の形になった。

現在の1枚の田の中に

小さな田が10数枚ほど入っていたという。

   

「大野の棚田はね、森吉山の純粋な

伏流水を直接引いているんです。

水路ができたのは昭和30年代。

森吉山からわざわざ延々と

7kmの水路引いて来てるんですよ。

昔の人はほんっとうにすごい。

だからこそ大事にしなければと思うんです。」

棚田には排水路はあるが、用水路はない。

限られた土地の中で、

できるだけ田んぼの面積を

広くしようとしたためらしい。 

運ばれた水は、田んぼひとつひとつに

小さな蛇口をつけ、

みんなで大切に分け合っている。

   

標高300mのこの土地は、昭和50年代まで、県の高冷地稲作試験場として用いられてきた。

水路を引き、いかに効率よく少ない水を使って高冷地でも美味しい米を作りだすか。

当時指導に訪れた県農業試験場の職員を今でも“先生”と呼びながら、

その与えられた知識と技術を、大野の人々は親子代々大切に受け継いできた。

水路は今も、年5、6回集落で見回りをして、点検整備を繰り返している。

 受け継がれる想い
 
後日、再び棚田を訪れるとその想いをしっかりと受け継ぐ男性に出会った。

鈴木慶勝さん(60)今年森林組合を退職し、農業に専念しているという。

育てているのはあきたこまち。水を抜いた田んぼに手作業で筋を付けている。

水がちゃんと流れるように、そして、水稲の花が咲いてもう一度水を張る時、

大切な水が隅々まで早くきちんと行きわたるようにするためだという。

 

 「ここの水は大切だから。

昔の人が苦労して引いた水路で

森吉山からわざわざ引いてるべ。

その水を大事に使いたいし、

やっぱり、手をかければかけただけ

美味しくなるような気がするしな。」と、

働く体を少し起こして、

ゴム製の手袋をはずして汗をぬぐう。

棚田を持つ農家でもここまで手をかける

農家はほとんどいないという。

どこで教わったのか、と聞くと

「昔“先生”が教えてくれだんだ。」と答えた。

「ここはいいよ。

誰もいなくて人に気兼ねすることもないし、

のんびりして気持ちがいい。

出かけた時には、よその米も食べるけど

やっぱりここがいいなって思うものな。

だから子どもたちにもそう言ってるんだ。

昔の人がせっかく造ってくれたものだもの。

残していきたいと思うよ。」

 棚田の未来

平成21年9月、北秋田市役所の柴田さんや鈴木さんたち大野集落の棚田所有者は、

9農家20haで「戸鳥内大野棚田地区活性化組合」を結成した。

その目的は、棚田の環境保全、景観維持、そして収益の向上。

 

収益の向上として、

昨年収穫した自慢のあきたこまちは、

現在JAあきた北央から「天空の舞い」

名前で首都圏を中心に売り出している。

9農家で農薬の利用など栽培方法を決めて

米の品質を統一した。

柴田さんは、

「棚田は西日がすごく差すし、

昼夜の寒暖の差も大きいし、

それになんといっても森吉山の水を使うから

おいしい米が育つ。と話す。

そして、

これだけはぜひ書いて欲しい、

真剣な表情でわたしに次のことを語った。

「最近は普通に遊びに来る人も多くてね。

いいんだけど、

勝手に山に入って山菜やきのこを採っていく。

あそこはちゃんと持ち主のいる山なんだよ。

棚田はわれわれの生活の場だし、

それには本当に困っています。

棚田を見る人も、

マナーはきちんと守って欲しいんです。」

 

先祖が子孫のために田を開き、水路を引き、大切に守り継いできた棚田。

その美しい景観は、観る人全てを懐かしさとすがすがしさで包み込んでくれる。

しかし、それによって畦が壊されたり山を荒されてしまっては、

この美しい景観を残していくことさえも難しい。

この里山の風景を、村人たちは生活の中で手を加えながら守ってきた。

外からその恩恵を受けるわたしたちもまた、守り伝える意識を持たなければならない。

そろそろ帰ろうと歩きだしたとき、雲の切れ間からまぶしい夏の太陽が差し込んできた。

                                  県北担当 やっつ

・・・・・・・・・・・・取材にご協力いただいたみなさん・・・・・・・・・・・・

戸鳥内大野集落のみなさん

 

あきた北央農業協同組合

 

北秋田市役所 産業部農林課             お忙しい中本当にありがとうございました。