国重要無形民俗文化財(平成16年2月指定)
 根子番楽は、マタギのふるさと・北秋田市阿仁町根子集落に伝わる国重要無形民俗文化財である。この番楽は、山伏神楽の流れをくみ、勇壮活発で荒っぽい武士舞いが多いのが特徴。民俗学者の折口信夫は、根子番楽を次のように評している。

「村人は源平落人の子孫と称し、古来弓矢に長じ狩猟を生活としてきただけに、ここの番楽は他のそれに比して勇壮である」

 番楽とは山岳地帯を中心に広がった祈祷色濃い舞楽のことで、奥羽山脈を境に太平洋側のものを山伏神楽、日本海側のものを番楽と呼んだ。
▲根子集落
 根子集落は、四囲を山に囲まれた小盆地に立地している。根子トンネル(昭和50年)がなかった時代は、険しい峠を越えて入らなければならない隔絶された山村であった。冬から春にかけては狩猟、夏には川漁・山漁、「熊の胆」などの売薬行商に出る人も多かった。

 日本を代表するマタギ集落・根子は、源氏、平家その他の落武者によって開創されたと伝えられている。番楽は、平氏没後その一族である小池大納言の家臣が離散し、越後の三面、下野の日光、羽後の根子に居住し、その遺臣が伝えたという。

根子番楽の特徴
 歌詞や口上が上級武家らしい雅さと文学的に優れていること。舞いの形式が能楽の先駆をなす幸若舞以前のものであること。舞には、鎧をつけ鉄製の刀を打ち交わす武士舞いと静かな古典舞いとの二つに大別されている。
▲旧根子小学校・・・ここで、毎年8月14日に根子番楽が公開されるという。 ▲校歌には「つたえゆかしき番楽に/又鬼の面影しのびつつ」とある。
▲根子番楽「露払い」
 舞いは、少年が舞う「露払い」に始まり、「鳥舞い」「翁舞い」「三番叟(さんばそう)」「女形若子(わこ)」「信夫太郎」「鞍馬」「作祭り」「蕨(わらび)折り」「曽我兄弟」「鈴木三郎」「敦盛」「鐘巻(かねまき)」の13番である。

 「露払い」の衣装は、襦袢、ふごみ、手甲、脚絆、白足袋、タスキ、鳥帽子、鉢巻きで、ぼんぼりと扇を持ち替えて舞う。
▲「翁舞い」
 笑っているような翁面をかむり、鳥帽子に鉢巻きをし、手には扇をもってひょうきんに舞う。
▲「鞍馬」
 鞍馬は、別名「牛若弁慶」ともいい、牛若と弁慶の争いを描いたもの。牛若は扇を持った少年が演じ、弁慶は白頭巾に薙刀(なぎなた)で大人が演じる。少年の牛若丸は、弁慶が振り回す薙刀をかわすために跳び上がったり、側転してかわすなどの曲芸に近い軽業に大きな拍手が送られる。最後に弁慶の薙刀の柄にヒョイと乗り、これが最高の見得切りとなる。
▲「曽我兄弟」
 仇討の話で鎧と脇差、手に扇をもった五郎が中央に進み出て、まるで扇を使った曲芸のように激しく舞い、十郎を待つ。幕出し歌で十郎が登場し、両人は扇を開いて相対しながら前合わせ、背合わせになって舞う。
 次に二人は扇を太刀に持ち変えて、本物の火花を散らしながら激しく切り合う。手に汗握る場面がしばしばあり、勇壮な舞が続く。五郎は幕入りした後、十郎は太刀に太太刀に替えて舞う。・・・根子番楽は、マタギ集落にふさわしく厳格で激しい気質をみせつける舞いである。
佐藤佐吉マタギ(明治41年生)が語る根子番楽要約(「秋田・芸能伝承者昔語り」秋田文化出版)

・番楽やる人はマタギもやった。マタギと番楽は切っても切れない縁。
・昔は表12番、裏8番の合わせて20番で、全部やれたのは昭和14、5年頃まで
・番楽はお盆とお祭りにやった。当時はお堂の前に舞台をつくり舞った。

・一番初めに習ったのは「露払い」、これは番楽の基礎で、これを覚えなければ他の舞いは覚えられない。
・根子はマタギの関係で山神様のお祭りの時にやった。よく「根子の番楽はマタギの部落だから荒っぽい」と言われる。確かにテンポは速いし、荒っぽいことは荒っぽい。
・昔から「根子60軒」といったが、マタギをやる家は30軒ぐらいあった。

・今は米もとれるようになったが、明治・大正の頃は田もなく、マタギをやって毛皮を売ったり、薬の材料にして生活していた。
・マタギで暮らせたのは、大正から昭和の初め頃。薬屋が5、6軒あって、薬草や熊の胆とかと調合して行商に出掛けた。一時は行商に出る人が100人ぐらいいた。
参 考 文 献
「阿仁町史」
「秋田県の文化財」(秋田県教育委員会)
「秋田「祭り」考」(飯塚喜市著、無明舎出版)
「秋田・芸能伝承者昔語り」秋田文化出版
「東北お祭り紀行」(重森洋志著、無明舎出版)