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秋田県の仙北や阿仁地方には、マタギの村が多かった。彼らは、クマ狩りなどの集団猟を得意とし、晩秋から早春にかけて山に入り、拠点となる場所に設けた簡単な狩り小屋に泊まり込んで、クマ、カモシカなどの大型獣を捕った。「秋田食べ物民俗誌」(太田雄治著、秋田魁新報社)には、今では幻の味となってしまったカモシカやサルなど、驚くほど多様なマタギ料理が記録されている。(写真:仙北豊岡又鬼) |
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▲山立根本之巻(日光派、阿仁マタギ資料館) シカリの家に代々伝えられてきた「山達根本之巻」。この巻物は、マタギの由来と権威を記した秘伝書で、昔は狩りで山に入るときは必ず身につけた。この巻物は、神聖なものであり、家族にも見せてはならなかったという。高野派は山立之由来之事を信奉している。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 山地生態系の頂点に位置するクマは、ブナの森の恵みに依存していることが分かる。県内の生息数が1000頭前後もいるという事実は、ブナ帯に位置する秋田の自然度が高い証でもある。 |
巻狩り概念図 | ||
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クマ狩りには穴グマ狩りと巻狩りの二つの猟法があるが、巻狩りこそマタギの最も得意とする猟法である。巻狩りのシーズンは4月下旬から5月上旬頃。 巻狩り概念図の解説 ▼ムカイマッテ・・・見張り役、全体の行動を指図する合図役。シカリが兼ねる場合が多い。 ▼勢子・セコ・・・鉄砲を持たず、獲物を追い出す係。沢沿いに追い上げる者を沢セコ、斜面の中程から追い上げる者を中セコ、尾根沿いに追い上げる者を片セコと呼ぶ。 ▼ブッパ・・・鉄砲を持った射手がそれぞれ定められた位置につく。ブッパがつく場所には、それぞれ名前がある。 ムカイマッテが「勢子なれ、勢子なれ」と合図すると、勢子は一斉に「ソーレア!ソーレア!」と叫びながら獲物を追い出す。勢子の間隔は約200m、一列に並んで追い込む。熊はまっすぐに登ろうとする習性がある。だから射手が尾根の方で待ち構え、下の方から勢子が熊を追い上げる「ノボリマキ」が一番習性に合っている。 獣でも登りながら逃げるのは苦しい。常緑樹の茂った所に姿を隠しながら、楽なルートに沿って尾根へ出ようとする。ノボリマキは、熊が逃げる速度も遅く、射ちやすい。つまりし止める確率が高く、危険も少ないという利点がある。 ブッパは、指図があるまで絶対動いてはならない。ブッパは、できるだけ自分の近くに獲物が追い込まれたときだけ射つ。他人のブッパに追い込まれた獲物は絶対射ってはならない。昔は、ムカイマッテが「イタズ(熊)出た、一のプッパ、タタケー(射て)」という合図で射ったという。 |
ケボカイの神事 | ||
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▲ケボカイの神事を行う角館町雲沢・鈴木助四郎シカリ(昭和29年秋)![]() 熊をし止めると大きな声で「ショウブ」と合図する。さらにムカイマッテが「ショウブ、ショウブ」と全員に合図する。その合図を聞くと、全員が獲物の場所に集まり「お手柄おめでとう」とお互いにあいさつする。鉄砲の弾の残りをはずし、全部山の方に向けてたて、ケボカイの神事に入る。 ケボカイは、獲物の皮を剥ぐ大事な神事。熊の頭を北に向け、あおむけにする。シカリが塩をふり、口字を切る。山神さまに感謝し、次の獲物を授けてくださいという唱え言葉を三度唱える。 皮を剥ぎ終わると、剥いだ皮を手に取り、反対にしてかぶせる。小枝で熊の尻の方から頭に向かって三度なでて、唱え言葉を七回、三回と唱え、最後に「コレヨリノチノヨニウマレテ ヨイオトキケ」と唱える。これらの唱え言葉は、タタリを防ぎ、熊を成仏させるために引導をわたすものであるとされている。 |
マタギ料理 |
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▲タケノコとクマ肉の煮つけ ▼鈴木松治さんが語るクマ料理・・・「クマだばな、骨のついたままのやつをぶつ切りにして煮た汁な、これはオラ方では゛ナガセ汁゛っていうけどもしゃ、これは美味いんだ。骨の髄が出て脂もあってなクマの料理では最高だべしゃ。春のクマ狩りで獲ってきたどぎには大体このナガセ汁を煮て一杯やるのが楽しみなんだよな。 ・・・それどな、骨ついてない肉だけで煮た汁のごどを゛クマカヤキ゛っていうけどもしゃ、これがまず一般的な料理だな。・・・あとクマだばモチグシな、これは焼くんだけどもな。これも美味しいんだよな。本当のいいところの肉を焼いて食べるんだがらな。焼いて食べるというのはモチグシだけだな。山の神様に供えるときだけだ」「マタギ 森と狩人の記録」(田口 洋美著、慶友社) |
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▲マタギ料理・クマかやき、クマ鍋(「阿仁川流域の郷土料理」建設省東北地方建設局森吉山ダム工事事務所) | ||
▼北秋田市阿仁町のクマ鍋・・・肉と大根をみそ仕立てで煮たものを「熊鍋」(右の写真)、豆腐を加えしょうゆで味つけしたものを「熊かやき」(左の写真)と言う。 現代のクマ鍋は、クマ肉に大根、ゼンマイ、タケノコ、ブナハリタケなどを入れ、自家製の味噌で煮込む。初めてでも食べやすいように、マタギの伝統料理に若干手を加えている。脂身とあっさりした食感、野生の香りが漂うクマ肉の濃厚な味が美味い。 |
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▲打当温泉のクマかやき | ▲打当温泉のクマ鍋 | |
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▲写真:マタギの里・阿仁町のクマ牧場 クマの肉が最も美味いのは、寒中の穴で獲れる3、4歳のクマ。次に4月下旬、春クマ狩りで獲ったクマが美味い。夏のクマは、痩せて脂が乏しいうえに野生特有の匂いが強く不味い。さらにクマの胆は小さく、毛もボロボロ・・・だからマタギは、夏クマを撃たない。 |
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![]() ▼アリカいため・・・クマの手足についている肉をコヨリ(上の写真参照)かマキリ(小刀)で切り取り、細かく刻んでから煮る。湯煮した肉に、刻みトウガラシと塩で味付けし、クマの油で炒める。サクサクした歯ざわりで一風変わった料理である。 ▼クマのサヨ(舌)は、アリカと同じく細かく刻んでから湯煮し、刻んだニンニクと塩で味付けし、クマの油で炒める。クマの内臓類は、生のまま塩もみし、醤油で刺身として食べる。クマの脳ミソは、解体直後の新鮮なものを食べる。まるでタラの白子のように美味いという。 ▼フランスの伝統料理・ジビエという血の ![]() ▼クマ金酒・・・早春、穴から出たばかりの雄クマのタキリ(男根)を焼酎につけ、一ヶ月以上密封して造る。タキリだけを塩焼きにして食べることもある。いずれも強壮剤として、マムシ酒以上とされる。このようにクマは、山神様からの授かり物として余すところなく利用された。 |
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▲クマの胆(い)・・・胆のうを破らないように取り出し、割りばしなどを敷いた弁当箱に入れ、陰干しするか、囲炉裏の火棚に吊るして乾燥させる。半乾きになったら板にはさんで形を整え、さらに乾燥させて仕上げる。「金胆」と呼ばれるものが最高級品。これを切ると金色の粒がポロポロにこぼれる。次いで「黒胆」は、膏薬のような黒色で金胆より二割ほど安いという。 クマの胆は、漢方薬の中では、最高級品。効能は慢性の胃腸病、食中毒、疲労回復、二日酔いなど、万病に効く薬として取り引きされ、昔からマタギの貴重な収入源であった。阿仁マタギや戸沢マタギは、年間約4ヶ月、全国を股にかけてクマの胆の行商をしていた。特に根子集落のマタギは、昭和11年当時すでに、鑑札を取った売薬業者として行商していた。 |
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![]() ▼クマの舌(サヨ)・・・乾燥して粉末にして飲む。熱さましや傷薬。 ▼クマの骨・・・すりつぶして粉末にし、酢または酒でねりあわせて打撲症の薬。焼いて粉末にして飲む。血圧頭痛虚弱児の薬。 ▼クマの頭・・・皮をはいだ生のものを粘土で包み、米ぬかの中で蒸し焼きにする。脳病の特効薬。 ▼クマの血・・・握り飯にしみこませたり、腸詰めにして持ち帰り、乾燥して粉末として飲む。頭痛、疲労回復、強壮剤。 ▼クマの肝臓・・・乾燥して粉末にして飲む。心臓、肺結核の薬。 ▼オスクマの性器・・・乾燥して煎じて飲む。性病の薬など・・・ |
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山ウサギ | ||
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▲写真:野沢博美写真集「鷹匠」(童牛社)より・・・鉄砲だと一冬にウサギ100匹、鷹匠は3倍の300匹も獲った。自然に依存して生きるしかなかった貧しい山村では、人間が鷹の観察を通して利用する鷹匠を生み、ウサギを獲る道具としてワラダを考え出した。 かつては、山ウサギは県内の至るところに生息し、肉屋が一軒もない山村にとって、冬の最大の味覚だった。体毛は春から秋にかけて茶色、冬になると雪と見分けがつかないほど真っ白になる。性格は臆病で警戒心が強く、雪の上を歩いた足跡の上を逆戻りし、途中から横に数メートル飛び跳ねて行方をくらます習性をもつ。 |
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(写真:阿仁マタギ資料館) ▼ワラダ猟・・・マタギは、ワラを円盤状に編んだワラダ(写真右下)を使ってウサギを獲った。ウサギが潜んでいる所にワラダを投げると、その空を切る音を鷹の羽ばたきと間違え、恐怖で身動きできなくる。臆病で警戒心の強い性質を逆手にとった猟法である。 ▼寒中のウサギは、木の皮だけを食べているので一番美味いとされ、毛以外は全て食べる。山ウサギは、独特の臭みがある。皮を剥いた枝肉を一昼夜雪の中に蓄え、二、三回塩もみしてから水洗いすると生臭い匂いが消える。長期保存する場合は、生臭みをとることも含めて塩をたっぷりかける。食べる時は、流水で塩出ししてから、ウサギ汁やニンニク味噌の串焼きなどで食べる。中には生肉を刺身で食べたという。 ▼山ウサギのネギづくり・・・毛と皮を剥ぎ、内臓や腸の糞が鍋の中ではみ出さないよう腸を糸で結んでから、丸ごと大鍋で水煮する。鍋から取り出し、糞を取り除き、ナタで骨付きのままぶつ切りにする。水煮した汁を使い、豆腐のオカラ、ササガキゴボウを加え、味噌と酒カスで味付けする。ドンブリに山盛りに入れ、ネギをたっぷりかけて食べる。 |
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▼山ウサギの糞料理・・・仙北、由利、北秋田地方など、県内各地で山ウサギの糞料理があった。山ウサギは、寒中に木の芽や枝皮を食べるため、腸の中にはこうした冬の新芽が詰まっている。由利郡鳥海村百宅、笹子では、この糞料理を「スカ料理」と呼ぶ。 山ウサギの腹を割り、糞の詰まったまま食道と直腸の両端を糸で結び湯煮する。この山ウサギのソーセージを切り、塩をつけて食べる。煮ずに糞のソーセージを串焼きにしても食べた。北秋田郡森吉町では、この糞の塩辛を作って食べたという。未消化の新芽が入っている糞だけをしごき、1ヶ月間塩漬けにして塩辛を作る。新芽の苦味があって風味満天らしい。 ▼塩分補給説・・・ふんやヨドミ(内臓)を利用して食べることは、考古学によると、日本の石器時代、いまだ食塩採取を知らず、このため、動物の内臓を好んで食べたという。これは動物臓器中に含まれる有機塩をとって、塩分を補給したという説である。 |
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幻の味その1・・・ニホンザル | ||
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サルの肉を食べられたのは昭和の初め頃まで、今では口にできない幻の味である。寒中のサルの肉は、黄色の脂がこってり付き、砂糖で味付けしたような甘味があり、比内鶏より数段美味いと記録されている。大正の初め頃までは、毛皮一枚でクマの毛皮三枚分に相当するほど高価だった。 美味な肉に加え、サルの肝は薬の効き目がクマ以上だったという。サルの胆は、子供の食アタリ、カン、馬の突き目の妙薬として高く売れた。かつて仙北郡角館町のイサバ屋には、毛つきのままサルをぶら下げて売っていた。その枝肉を味噌漬けにし、焼肉として食べるなど、冬の旬の味として珍重されていた。 |
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▼マタギが語るサルの生態 明治から大正にかけて和賀山塊のヒバ密林地帯には、サル、カモシカ、クマの楽園だったという。秋はヤマブドウ、クリ、サワグルミなどの木の実を食べ脂肪がのっている。しかし、ヒバの森に隠れて発見が難しい。冬の食べ物はマタタビの蔓の皮、カラカラになった干しキノコ類、木の皮など。雪が降ると ![]() 吹雪くとヒバの森や沢の底にいるが、冬晴れになると一番高い山の峰で遠見している。子サルは頭を下にして母サルの背に抱きつく。これは柴などで目を突くのを防ぐためらしい。群れの中には、耳や爪がないものもいる。ボス争いなのか、仲間喧嘩も相当激しいようだ。 サルの群れは、道ひきと言われるボスザルが集団の先頭に立ち、群れを統率して歩く。これから約10数m離れて本隊が続く。これを中通りと呼ぶ。時に集団から離れるサルもいるので、左右に「わきザル」が一匹づついる。この「わきザル」は、列から離れたサルをお互いに「ピー、ピー」と合図をし合って集める役目をしている。本隊の最後に小ザル連れが続き、先頭の足跡を辿りながら一列になって歩く。 |
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▼猿狩り名人の可笑しなエピソード・・・鳥海町百宅に「山で撃つと泣く子も黙る」と言われた七蔵マタギがいた。彼は百宅から30キロほど山奥に笹小屋を建て猟をしていた。ある夏、焦げ付いた飯鍋を沢に浸し、小屋で一人寝ていた。真夜中の闇の奥から「七蔵、鍋上げれ!」と叫ぶ声がした。それを聞いた七蔵は、飛び起き、裸のまま走って、鍋を沢から上げ「鍋上げた!」と叫んだという。泣く子も黙る七蔵とはいえ、山の神にはかなわなかったということか。それとも、生き物を殺生し過ぎたタタリだろうか。
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幻の味その2・・・ニホンカモシカ(アオ、アオシシ) | ||
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▲雪崩にやられたカモシカの死骸(和賀山塊シトナイ沢) カモシカは、昭和9年、国の天然記念物(昭和30年、特別天然記念物に昇格指定)に指定され狩猟厳禁、今では幻の味の筆頭格。かつて秋田では、野生鳥獣の中でも、サル肉と並び美味い肉として珍重されてきた。 |
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カモシカは、肉が抜群の味で、毛皮は登山者や山林労働者の尻当て、衣類として利用され、角(右の写真)はカツオ釣りなどの擬似針として重用された。春から秋にかけて、ミズやミズバショウの茎、ハナウドなどの山菜類をたくさん食べる。この時季の肉はまずいという。雪が降り始めると、沢の下に密生している柴のウラ芽を食べ、下から峰の上に向かって食い進む。最高に肉が美味いのは、寒中の寝場にいるときだという。 ▼カモシカ料理(阿仁マタギ・松橋松治さんの話)・・・「カモシカのことはここらで゛アオ゛とか゛アオシシ゛っていうんだけどもしゃ、料理だと゛アオシシカヤキ゛な、アオシシ汁だな。それとアオシシの内臓を煮た汁は゛ヨドミカヤキ゛っていうな。゛ヨドミ゛っていうのはアオシシの内臓っていう意味だがらな。味つけは味噌と醤油を混ぜたり、味噌だけでもやるもんだすな。・・・まず本当に昔の人方はカモシカとウサギはかなりの量を食べたと思うな」「マタギ 森と狩人の記録」(田口 洋美著、慶友社) ▼アオシシの骨タクリなど・・・大骨をマサカリで割り、とろ火で一週間水煮にする。これを味噌味などで食べる。骨の中のたんぱく質と脂肪が出て、トロトロとした味は絶品だという。また胃の内側の肉は、塩をつけて刺身で食べると、赤い肉特有の美味さがあるという。木の芽が詰まっている小腸の未消化な糞に塩をつけて食べると、これまたウルカのように美味いとか。 |
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ムササビ(バンドリ) | ||
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▲左がムササビ(県立博物館) 1994年、狩猟獣から除外され、これも幻の味となった。秋田では゛バンドリ゛と呼び、よく沢の名前に「バンドリ沢」あるいは「晩鳥沢」の名称を目にする。この沢名は、ムササビが多く生息することから名付けられたものだろう。 完全な夜行性で、樹上から思いっきり飛膜を広げて滑空する。バンドリ猟は、満月の夜を選ぶ。梢の先を、月をバックにして透かしてみると、バンドリが目を光らせ下を見下ろしているのがわかる。そこを狙って撃つ。 |
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バンドリの旬は、11月から12月末。特に12月頃は、クロモジの芽を食べているので、その香りがして最高に美味いという。西木村戸沢のマタギは、大腸の糞をしごいてからよく洗い、これをぶつ切りにして酒カスを混ぜて味噌で煮る。「バンドリのホロホロ」と呼び、酒のツマミとして珍重した。またバンドリのハラゴ(子)は、産前産後によい食べ物として婦人が好んで食べたという。毛皮は防寒用として利用された。
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アナグマ(マミ、マミムジナ、マミタヌキ) | ||
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(写真:県立博物館) アナグマのことを別名、マミ、マミムジナ、マミタヌキと呼ぶ。俗に「タヌキ鍋」と呼ばれる料理は、実は「アナグマ鍋」のこと。タヌキの肉は臭みが強く不味いとされているが、アナグマの肉は脂がこってりついて美味いという。奥羽山麓一帯では、カモシカに次ぐ美味い肉とされ、マタギたちは、マミ汁と呼んだ。 |
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タヌキ | ||
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▲車にはねられ死亡したタヌキ(東成瀬村) | ▲ホンドタヌキ(県立博物館) | |
マタギは、タヌキを「ムジナ」と呼ぶ。斜面の土穴に棲み、ネズミや川魚、木の実などを食べる雑食性。冬でも雨が降ったりすると雪の上を歩き回るので、雨の日はタヌキ狩りに出た。ムジナのはく製は、旅館や料理店の置物として喜ばれた。ただし肉は臭みが強く、ほとんど食べなかったらしい。 ところが、これを食べていたとの記録もある。臭みをとるために、数回水煮を繰り返し、よく脂の部分を取り去り、赤肉だけになるまで湯煮し、味噌汁か鍋焼きにすると、臭みがなく美味いらしい。仙北奥地のマタギに伝わる脱臭法は、簡単に説明できないほど複雑な手順で行われていた。生臭いキツネも食べたとの記録同様、食べ物の限界ギリギリまで知恵を絞って食べた先人の苦労が偲ばれる。 |
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キツネ | ||
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▲キツネ(大森山動物園) キツネは、里山を棲家にしているだけに民話にもよく登場する。キツネは、犬のように、通ったルートの目立つ岩や木の根、道の交差点などに強い独特の匂いがする尿を残す。これは「においづけ」と呼ばれ、キツネ同士の伝言板のような役割を果たしているという。肉食性の強い雑食性。ムジナと同様、肉は臭気が強く不味いとされている。しかし古い記録を見ると、ムジナと同様の手順で臭みを取り除き、食べていたことは確かなようだ。 |
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テン | ||
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▲黄色の毛皮が美しいテン | ▲テン(県立博物館) | |
テンはイタチ科に属する毛皮獣で、キテンとスステンの二種。毛皮として珍重されるのはキテン。食べ物は、ネズミ類、小鳥、鳥の卵やヒナ、両生類、爬虫類、果実、山ウサギなど。テンは、山ウサギを食べるとき、まず臓物だけを食べる。内臓には有機塩があり、この塩分を好むのだといわれている。 |
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シギ(ムナグロシギ) | ||
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▲渓流沿いで死んでいたシギ | ||
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▲焚火の煙でシギとイワナを燻す | ▲イワナとシギの燻製 | |
シギは、カモなどより数段美味い。仙北地方では、シギの肉を味噌田楽にして食べると最高とされた。特にオモシロイのは、戦前まで魚を釣るように「シギ釣り」をやったという話。約30センチ前後の細竹数本に、糸と針をつけ、大好物のキリギリスを針に刺す。一坪ぐらいの草を短く刈って、キリギリスを自由に這わせておく。釣り人は、少し離れた薮に隠れ、シギの鳴き声をまねる。すると空に飛んでいたシギの群れが、大好物のキリギリスを発見、本当に釣られてしまうらしい。
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ハクチョウ | ||
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現在は禁鳥で、幻の味。江戸時代は、下級の武士や庶民は絶対に食べられない鳥だったが、角館佐竹家の重臣たちだけが自由に捕獲し食べる特権があったという。重さ10キロもあるハクチョウの肉は、大量に塩蔵し、殿様や高級武士だけが賞味したと記録されている。明治になると、その特権もなくなり、一般庶民が、冬季の貴重なタンパク源として食べ続けた。味は大味だが、美味い肉らしい。
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ヤマドリ(山鳥) | ||
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▲ヤマドリのメス | ▲ヤマドリのオス | |
![]() ▼きりたんぽとヤマドリ・・・きりたんぽは、もともと北秋田地方の樵(きこり)や狩りを生業としたマタギたちがご飯をつぶし、棒に刺して焼いて食べていた携行食を、ヤマドリやキジの鳥鍋と煮込んだものが始まりと言われている。 ▼冬の百宅そば・・・かつて秘境と呼ばれた鳥海村百宅のマタギ集落では、冬になるとヤマドリやヤマウサギ、キジなどの肉を串に刺して焼き、さらに焼肉からソバの出汁を作った。ちなみに春から秋までは、渓流のイワナを焼いて出汁をとった。 |
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カモ類 | ||
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マガモ、オナガガモ、コガモなどのカモ類は、狩猟期になると、いち早く保護区や休猟区に大群で移動し、休息するようになる。県内には冬鳥として秋に訪れる。料理は、カモ鍋、カモ汁、カモ雑煮など。 ▼カモの狩場焼き・・・過熱したフライパンにのせて両面を軽くあぶりながら、生醤油をつけただけで食べる素朴な料理。 |
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その他野鳥MEMO | ||
▼コウモリ・・・戦時中の話だが、秋田市上新城の鉱山師たちは、洞窟にいるコウモリに袋をかぶせて一網打尽にして捕獲。頭から口にかけて皮をきれいに剥ぎ取り、砂糖を入れた甘いタレをつけて焼いた。すると脂が流れ出て、風味のある味だったと記録されている。![]() モモ肉を串に刺し、炭火で醤油焼きにすれば、香ばしく鶏肉の味で大変美味いと記されている。かつて貧しい山村では貴重なタンパク源だったらしく、専業のカラス肉を売る人もいたというから驚く。信州では、カラスの肉を細かく叩き、味噌やオカラを混ぜて串焼きにする郷土料理もあるとか。九州では、カラスの肉をたくさん食べていたらしく「カラスちぎり」と呼ばれる捕獲法もあったという。 かつての農村は飢餓と貧困の歴史が続いただけに、まずいとされたハシブトカラスも食べていた。悪臭をぬくために、獲ったら一晩土の中に埋めておく。次に冷水から30分ほど煮てから汁を捨てる。それを二回ほど繰り返すと悪臭が消える。これを鍋にして食べたという。ところが脂がとれて不味いこともあるらしく、鶏や牛、豚の脂を入れて調理したとの記録もある。カラスは今でこそ食べる人もなく、増え過ぎて迷惑千番だが、戦時中は、カラスが乱獲されて、ほとんど姿を消したらしい。 |
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(写真:阿仁マタギ資料館) 貧しい時代の野生鳥獣料理を調べていると、臭い肉も食べる、生肉を食べる、血を食べる、内臓を食べる、糞を食べるといった、一見野蛮で原始的な食べ物に見える。 しかし、「こうしてみるとマタギ食は変わっているというよりも゛食えるものならなんでも食う゛という、マタギの貧しく苦しい食生活のあらわれであることがわかる。゛食えるものならなんでも食わなければ生きていけない゛きびしい生活の連続が、マタギたちの歴史を作ってきたのである。・・・それは一年の半分近くを雪に埋もれて暮らす山村民が、長い経験と苦心の中からうみ出した一つ一つの貴重な栄養源なのである。」「マタギ 消えゆく山人の記録」(太田雄治著、慶友社) |
参 考 文 献 | |
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