大倉集落による雪中田植え教室、田の神・山の神、ワラの文化、囲炉裏の文化、
 2006年2月14日、湯沢市駒形小学校で五穀豊穣を祈る
 雪国の小正月行事・雪中田植え(庭田植え)が行われた。
 「農村地域に住む子どもたちに、
 昔から伝承されてきた民俗行事を継承したい」・・・
 との思いから、大倉地区の高橋義輝さん(水土里ネット稲川用排水調整委員)ら
 地元農家が中心となって3年前から行っている。

 写真は、6年生5人とともに 雪の田んぼに約200束を植えた後、
 田の神様に今年一年の豊作を祈っているところ。
雪中田植え(庭田植え)とは
▼1810年、菅江真澄が描いた「小正月の田植え」(八郎潟周辺)
 県内各地で行われていた雪中田植えは、相当古くから行われていたことが分かる。

 「15日、外に出てみると、夕暮れ近くになって、
 田植えするといって、雪に稲茎を束ねてさしている。
 長い竿を押し立てて、それに薦槌(コモヅチ)をさげ、ナス畑、ウリ畑に見立てる。
 また梨の林や桃の園にいって斧をうちふり、
 としぎりのためしを行っていた・・・」

 これは稲作だけでなく、野菜や果樹も含めて豊作祈願をしていたことが分かる。
▼小正月の雪中田植え
(「新穀感謝/農村の一年」秋田魁新報社より)
▼雪中田植え・雄和町
(写真集「山里残像」池田和子著より)

▼雪中田植えは、「庭田植え」とも呼ばれ、
 古くから庭先に稲わらを植え、田の神様に五穀豊穣を祈願したのが原形。
 しめ縄をはり、御幣を立てた田は、「神の田」を意味していた。
 旧稲川町では、旧正月15日、
 雪の上にその年の豊作を祈念して豆ガラとワラで田植えを行った。
 また、1年間お世話になった農具に感謝し、切り餅を供えた。

▼雄勝町横堀の雪中田植え
 旧正月11日、雪の上に堆肥を散布し、15日の夕刻「田植え」と称して、
 大豆ガラ、麻ガラ、稲ワラを一緒にしたものを田植えのように植えて、
 その年の豊作を祈った。
 大豆ガラは穂、麻ガラは茎、稲ワラは葉をかたちどったものとされ、
 稲が赤らむ(黄熟)という祝い事を行った。

▼旧平鹿町の雪中田植えと鳥追い行事
 豆ガラとワラを束ねて稲の苗になぞらえ、
 11日に運んだ堆肥をまいて田植え行事を行った。
 午後3回、作業庭をはいて三番除草までの完了になぞらえた。

 夕方には、農具、家具に短冊形の餅にワラを通してつるし、
 お神酒、灯明を供えて参拝した。
 夜から朝にかけて、たい松を振りホイホイと叫びながら鳥追い行事を行った。

 おらほの鳥はあんまり悪い鳥で
 ショダラ(塩俵)さ打ち込んで  佐渡島さ追ってやれ、やれ
 佐渡島が近ければ 鬼が島さ追ってやれ、おれ、ホイ、ホイ(浅舞)
▼羽後町田代地区の雪中田植え
 1月15日朝飯前、若水を汲んだ人が屋敷内の畑や家の側の田の上の雪を踏み固め、
 田んぼに見立てて儀式を行い、田の神様に稲の豊作を祈願した。

 稲ワラに大豆の枝茎と穂のついたヨシをヒモで結ったものを一株として
 9〜12株を雪に植え付ける。
 これはヨシの穂のように稲穂が長くなるように、
 大豆のように米粒が大きくなるようにとの願いがあった。(羽後町田代畑中 柴田政蔵)
田の神と山の神
▼参考:五穀豊穣の神・田代岳
 高層湿原を有する田代岳(1、178m)は、古くから水田信仰の山である。
 五穀豊穣の神「白髭直日神」を祭る田代山神社は、毎年7月2日に祭りが行われる。

 田代岳の九合目の湿原に散在する約120の池塘は「神の田」と称され、
 そこに自生しているミツガシワの花のつき具合や根の張り具合などの生育状態、
 池塘の水の張り具合で、その年の稲作の豊凶を占う伝統的慣習が伝承されている。
 左:田の神・秋田県旧角館町(撮影:池田和子) 右:仙北街道沿いに現存する山の神の石碑

▼田の神と山の神
 民俗学の創始者・柳田國男は、
 稲作の祭りは田の神の祭りがその中心であると考えた。
 春に山の神が田んぼに降りてきて、田の神になる。
 そして秋になり、稲刈りが終わると、
 田の神は、山に帰って山の神になると信じられてきた。
大倉集落による雪中田植え教室
▼雪中田植えの講師
 伝統的な民俗衣装で登場した大倉集落の皆さん。
 本日の講師は、右から高橋義輝さん、高橋繁雄さん、高橋武夫さん。
 テヌゲで頬かむりした頭に菅笠(すげがさ)をかぶり、背中にはケラをまとい、
 スネにはハバキ、足にはワラグツをはいている。
▼自然と向き合って生きる生業・農業
 自然神は、人間が邪気、邪道におちた時、
 旱魃(かんばつ)や冷害、落雷、大洪水、地震、台風などの天災をもたらす。
 雪中田植えは、邪気、邪道を祓い
 神聖な田の神に、五穀豊穣を祈る大切な儀式であった。
▼大倉集落・高橋義輝さんの雪中田植え教室
 開口一番の質問は
 「今朝、パンではなくご飯を食べてきた人は手をあげてください」・・・
 すると、大半の児童が手を挙げた。

▼地産地消の意味
 地域で生産したものを地域で消費するという意味だけではない。
 それは地域の農林水産物は、地域の環境によって育てられたものである。
 だから、健全な農林水産業を地域の人たちが支えることは、
 地域にとってかけがえのない農地・水・環境を守ることになる。
 さらに、美しい農山漁村の景観、祭り・文化、
 赤トンボやホタルといった生き物まで支えることにつながっている。
 このことに気付いてほしいと願う。
▼菅笠(スゲガサ)
 高橋さんが手に持っている被り物を菅笠(スゲガサ)という。
 雪や雨、風、日射、粉塵、虫などから頭や首筋を保護するためにかぶった。
 材料は、沼など湿地帯に自生するカヤツリ草科のスゲ。
 草丈が2mぐらいになったスゲの葉を刈り取り乾燥させて、笠やケラに利用した。
▼ミノボッチ
 山草で頭部を四角い頭巾風に編み、身体部分をミノゲラに編んだもの。
 主として子ども用。
 これを頭からすっぽり被れば、風雪をしのぐことができる。

▼ケラ
 高橋さんが背中に着ているものをケラという。
 雨具や寒さよけ、背中当て、野良で休む時の敷物にもなるという便利なもの
 農作業や山仕事は、雨や風、雪の日でも休むことができない。
 そんな時、頭に菅笠を被り、ケラを着て働いた。
 左からケラ、マンダゲラ、ササゲラ(県立博物館)

▼マンダゲラ
 マンダノキ(キシナノキ)の皮は、薄くはぐとテープのようになるので、
 昔の人はいろいろな衣類に利用した。
 そのマンダノキの皮を利用して作ったケラをマンダゲラと呼ぶ。
 水走りが良く背を丸めて作業する事の多かった農民に重宝された。
▼ケラの裏の編み方
 編み目のものと、縦目に編んでいるものがある。
 編み目のようになっているものは、ミンゲラ、ミンコゲラと呼ばれた。
 ケラ作りには高い技術が要求され、一枚作るのに早くて3〜4日、
 三枚作るのに半月ぐらいかかった。
▼テノゲ・テヌゲ(手拭い)
 菅笠、ミノボッチの下に被っている白い布をテノゲ・テヌゲという。
 男女を問わず、被り物、汗ふきとして利用された。
 男は、鉢巻き、頬かむりが主で、
 女は頬かむり、姉さんかむりなど、装飾的にも利用された。

▼サンペ
 女の子が履いているワラの長靴をサンペという。
 サンペは、湿り気を含んでも型くずれすることがない。
 火棚で乾かすと、何度でも履くことができる。
 雪国の風物として欠かせない美しさがあり、今でも、雪祭りなどではよく利用されている。
▼ハバキ
 足のスネに巻いているものをハバキという。
 山林やヤブの中、雪中を歩く時、足のスネを保護するために使った。
 ワラで作る以外に、より保温性の高い獣の皮で作る場合もある。
雪国のワラ文化
▼ワラ細工
 ワラは稲の副産物で、昔から農家の暮らしや農作業に深いかかわりを持っていた。
 ワラ細工は多種多様で、飾りや縄類、草履、ワラジなどのはき物類、
 ミノやケラなどの着用物類、ムシロ、ゴザなどの生活用品、
 米俵、カマス、モッコなどの生産用品など・・・

 百姓の心と郷土愛に培われた歴史は、
 「わらと生活」を抜きにして語ることは出来ない・・・(後松州造)
▼ヨコヅチとワラ打ち台
 ワラを使って縄やゾウリを作る場合は、
 ヨコヅチでワラを叩いて柔らかくする。
 ワラ細工は、全てワラ打ち作業から始まる。

▼ワラうち(写真集「米づくりの村」井上一郎著)
 前の晩ワラの根本に少し水を含ませ、ワラを逆さに立てておく。
 一夜すると、水気はワラ全体に浸み柔らかくなる。
 それから打てば、強靭な繊維組織の束になる。
▼コモダイ
 米俵やモミ俵、踏み俵、縄こだし、
 コモムシロ、カマス、スダレ、スノコ類を編むのに使われた。
 高さは、作業する人があぐらで座って作業できる高さになっている。
▼ムシロバタ
 ムシロを織る道具で、ムシロバタシともいう。
 右の写真は、囲炉裏のそばでムシロを織っているところ(写真集「米づくりの村」井上一郎著)
▼ワラを結ぶ
 手に持っているのはツナギ。
 ワラを二本以上つなぎ合わせて、ワラや杉の葉などの結束に使う。
 二本つなぎ、三本つなぎなどがある。
▼縄
 両手をこすりながら、ワラによりをかけて作る。
 その名人芸に、子どもたちは驚きの表情で眺めていた。
 用途によって太さ、長さは異なる。
▼ワラ・稲作文化の傑作・湯沢市岩崎末広町の鹿嶋様
 鹿嶋様は、凄まじい形相をした木彫りの面と高さ4mもの巨大なワラ人形で、
 面と骨組み以外は全て稲ワラで作られている。
 疫病退散、家内安全、五穀豊穣を祈る伝統行事で、
 村の守り神として、村を見下ろす位置に祀られている。
▼美郷町のショウキ様
 村はずれの大木の下に、人間の二倍も三倍もあるワラの巨像が、
 赤い顔と大きな眼玉をむいて、村を通る人々をにらんで立っている。
 頭には長い角が二本・・・一見、巨大なナマハゲを連想させる。
 このショウキ様は、村へ疫病や災難が入ってくるのを防いでくれると信じられてきた。
 地域によっては、仁王様、鹿嶋様と呼ぶこともある。
雪国の囲炉裏文化
▼囲炉裏(イロリ)文化
 左の高橋さんが手にしているのは、囲炉裏に吊るされた自在カギ。
 これで飯を炊き、味噌汁を作り、お湯を沸かした。

 右の写真(写真集「米づくりの村」井上一郎著)・・・
 懐かしい囲炉裏の真ん中に吊るされた自在カギには、湯釜が吊るされている。
 その左上には、串刺しにした魚をベンケイに刺し、燻製にして保存食とした。
 雪国では、この囲炉裏で暖をとり、濡れた衣服やワラ靴を乾かしたり、
 煮炊きをしたり、焼くことで食事を作った。
 火は同時に照明の役割も果たす。
 囲炉裏は火の果たす全ての機能を備えた家族の暮らしの中心であった。・
▼東日本は囲炉裏、西日本はカマド文化
 写真はカマド(旧奈良家住宅)。
 民俗学者・宮本常一氏によると、
 東日本では炊事をする時に囲炉裏を使うが、
 西日本ではカマドを使う場合が多いという。
 囲炉裏には自在カギに下げる鉄ビンや鍋が用いられ、
 カマドでは、ツバのついた羽釜やセイロなど、カマドに置いて調理する道具が発達した。

 縄文時代は、その多くがイロリ(炉)をもち、カマドはなかった。
 カマドが出現するのは、古墳時代以降の4〜6世紀の頃。
 気候的な要因なのか、カマドは西日本に広く普及したが、
 東日本にはあまり普及しなかった。
雪中田植え・・・小正月の予祝行事
▼雪中田植えに用いる苗
 旧正月15日、豆ガラとワラを束ねて稲の苗になぞらえる。
▼田んぼの神様のお供え
 四方に木杭を立て、しめ縄で囲った神の田で雪中田植えを行った。
 旧稲川町大倉では、田の神様に、海の幸としてブリコの入ったハタハタ、
 山の幸としてシイタケ、畑の幸として大根と白菜、そしてお神酒を供える。
▼雪中田植えは、駒形小学校の校庭に5m四方の田んぼを作って行われた。
 昔から伝わる民俗衣装をまとい、大倉の高橋講師ら三人と6年生5人が
 雪の神田に入り、田植えを行った。
▼田の神様に五穀豊穣を祈る
 雪の田んぼで田植えが終わると、
 雪帽子をかぶった東の山に向かって、
 二礼、二拍、一礼をして、今年一年の豊作と家内安全を祈った。

▼作占い
 旧鷹巣町綴子では、小正月の15日に植えた苗を、旧2月1日に稲刈りを行う。
 その際、稲が直立していれば、実の入らない凶作、
 倒れていれば風水害、
 弓状に曲がっていれば、たわわに稔った稲穂を連想させることから豊作だという。

 旧北秋田郡花矢町では、田の豊凶を占うため、
 若柳の芽をつんで上に餅をつけて雪の上に植え、
 鳥が早く食べれば豊作だと占った。
参考文献&参考HP
「秋田の田植習俗」(秋田県教育委員会編・昭和43年3月)
「稲の民俗誌」(鈴木元彦著、あきた文庫7)
「農を支えて-農具の変遷」(渡部影俊著、秋田文化出版株式会社)
「わらと生活」(後松州造著)
写真集「山里残像」(池田和子著)
写真集「米づくりの村」(井上一郎著)
「新穀感謝/農村の一年」(秋田魁新報社、河村欣二、堅太郎著)
五穀豊穣の神・田代岳(旧田代町)