風土・歴史・民俗文化を活かした美しい村づくりに学ぶ
合掌ミュージアム、合掌造りの生活・生産空間、秋田・奈良家住宅との相違点、世界遺産とは・・・
 世界文化遺産「白川郷・五箇山合掌造り集落」・・・平成7年12月、岐阜県白川村荻町(白川郷)と富山県上平村(現南砺市)菅沼、平村(現南砺市)相倉(五箇山)の3集落が世界文化遺産に登録された。白川郷を訪れる観光客は、登録前で約60万人程度だったものが、世界遺産に登録されると格段に増え、平成8年に100万人、平成14年は150万人、平成20年には180万人を突破したと言う。人口わずか2000人程度の小さな村に、秋田県の人口110.7万人(H20)を遥かに上回る観光客が押し寄せる。風土、歴史、民俗文化を活かした美しい村づくりの凄さを改めて考えさせられた。
 白川郷北端の荻町城址展望台から合掌造り集落を望む。

 白川郷は、白山(2702m)を中心とする山岳地帯で日本有数の豪雪地帯(積雪深は約2m、昭和56年の豪雪では4.5mを記録)。かつては冬ともなれば、交通が遮断される「陸の孤島」であった。こうした俗世から隔絶された山間奥地には、決まって平家の落人が隠れ住んだという伝説があるが、白川郷と五箇山にも共通して語り継がれている。 
 田んぼや畑が点在する中に、聳え立つような正三角形をした合掌造り民家が並んでいる。この合掌造りは、白川郷と五箇山のみに存在する特異な伝統建築物で、他では見ることのできない独特の景観を形成している。
 19世紀末には、岐阜県白川郷と富山県五箇山合わせて1800棟以上あったが、20世紀半ば以降、急激に減少した。ダムで湖底に沈んだ集落もあれば、現金収入が増えてくると、住みにくい家は嫌だということで、合掌つくりを取り壊したり、売却する人も増えていった。中には、火災で合掌造りが焼けてしまった集落もあるという。外から来訪する研究者は、一様に合掌造りは素晴らしいと褒め、合掌造りを保存し観光に活かすよう助言した。

 昭和46年、白川郷荻町集落の自然環境を守る会が発足。「売らない、貸さない、壊さない」の住民憲章を制定し、村ぐるみで保存運動を推進した。こうした地道な村づくり運動が功を奏し、昭和51年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。保存活動を始めてから、人口はほぼ横ばいで、若者が村に戻ってくるようになった。平成7年、世界文化遺産に登録され、日本を代表する村になった。
合掌ミュージアム
 白川郷のシンボルである合掌造り民家を移築(間口15間奥行4間)し、その特異な仕組みが全てわかるように展示している。県営中山間地域総合整備事業で事業費は約2億円余り、完成は平成8年3月。構想によれば、「白川郷を訪れる年間約70万人」と想定していたが、現在はその倍以上の186万人(2008年)を超える。
 合掌造りは、2本の部材を山形に組み合わせてつくるサス構造で、屋根が両手を合わせたような形になっていることから名付けられた。豪雪に耐えられるように屋根は60度に近い急勾配で、ほぼ正三角形の特異な形をしている。
合掌造りの生活・生産空間
 日本各地のサス構造の民家は、屋根裏を物置程度にしか使われていない。白川郷の合掌造りは、妻面に開けられた白い障子窓から充分な採光と通風を確保し、内部を二層~五層に造り、養蚕のための場所として利用していた。つまり、養蚕のために広い屋内空間を必要としたことが、合掌造りを生み出したと考えられている。
 合掌屋根は梁の下端をペンシル型に尖らせ、それぞれ桁にピンポイントで乗せただけの構造。これは雪による垂直荷重に強く、横からの風には弱いが、山が強風を遮る豪雪地帯では大変合理的な方法である。また釘やカスガイは貴重品であったこともあり一切使っていない。二階の広い空間は、主に養蚕に使われた。(写真:「国指定重要文化財 旧若山家住宅・高山市飛騨民俗村」)
 結束には、ワラ縄とネソ(マンサクの細い幹)が使われている。柱や桁、梁などの骨組み部分は大工、サスや屋根下地の材料の確保と組み立て、茅葺き作業は、村人の共同作業「結(ゆい)」で行われた。村の材料を使い、できるだけ費用をかけずに村総掛かりで行う作業は、山間奥地に生きる先人たちの知恵でもあった。
 太い柱をサス又はガッショウとも言う。三角形の上の二辺に当たる骨組の材。棟方向に加わる力に対抗させるために筋違いを入れたものをオオハガイと呼ぶ。オオハガイは長い材で交差するように結束し、ガッショウ材を固定する。コハガイは、ガッショウ材の足元を固めるためにX字状に筋違いに組む。三角形の底辺に当たる床の部分をウスバリと呼ぶ。
 オエ・・・居間、食事の間。白川郷の大家族は、一軒の家に家長、兄弟、使用人家族など数十人が暮らしていた。それは土地が狭小で分家できなかったことに加え、養蚕業は寝る間もないほど重労働でまとまった労働力が必要だったからである。囲炉裏を囲んで家長が奥、台所に近い位置が女性、その向かいに男、玄関側に子供たちが座った。(写真:「国指定重要文化財 旧若山家住宅・高山市飛騨民俗村」)
 二階から上は、床に隙間が空いて一階の囲炉裏から出た煙が茅葺き屋根から抜けるようになっている。この煙は、茅や梁など木材をいぶして害虫や腐りから守る効果がある。このため各民家では囲炉裏の火を毎日欠かさなかった。
 ミンジャ(水屋)・・・沢の水を樋(とい)で母屋まで引き込み、水舟に受け、食物の洗い場としていた。(写真:「国指定重要文化財 旧若山家住宅・高山市飛騨民俗村」)
 デイ(手前の畳の部屋)・・・仏間とフスマ一枚で隔てた部屋が家長夫妻の部屋。この部屋だけに畳が敷かれ、冠婚葬祭や寄り合いでも使われた。

 奥の仏間はナイジンと呼ぶ。朝夕、家族は数珠を手に全員そろって親鸞上人と先祖を拝む。報恩講など、仏事で招待客が多く集まるときには、デイまで仕切りを取り外し、大広間とした。
 1階は居住空間として、2階からは養蚕、つまり絹をとるカイコの飼育場として活用した。下では、手間の掛かる若いカイコを育て、無事成虫になったカイコは上に移動した。(写真:「県指定重要文化財 旧西岡家住宅・高山市飛騨民俗村」)
 耕地面積が少ない豪雪地帯だけに、農業以外の生業に日々の糧の多くを依存するしかなかった。中でも換金作物として重要な養蚕、カイコの飼育は江戸時代から盛んに行われた。高い屋根を2階、3階と区切って設けられた作業場は、養蚕に適した湿度に自然に調節されるという効果も持ち合わせていた。飛騨地方の中でも白川郷など北部の豪雪地帯で養蚕が著しく発達した。(写真:「県指定重要文化財 旧西岡家住宅・高山市飛騨民俗村」)
 大きな屋根の長辺方向の面と玄関が同じ方向にある「切妻」と呼ばれる建築様式も秋田にはない特徴の一つ。(写真:「国指定重要文化財 旧若山家住宅・高山市飛騨民俗村」)
秋田を代表する萱葺き民家・奈良家住宅との相違点
 旧奈良家住宅(昭和40年、国の重要文化財に指定)・・・江戸時代中期に建てられた「両中門造り」。白川郷合掌造りとの大きな相違点は、まず屋根の傾斜が緩やかで、少しカーブを描いていること。上から見れば、直線的な家屋ではなく、コの字型であること。入り口が長辺ではなく、短編方向にあること。4階建て、5階建てではなく、2階建てであること。2階に光と風を呼び込む障子窓がなく、物置程度にしか使われていないこと等である。
 土間の大黒柱・・・左の太い八角形の大黒柱に注目。世界の建築家ブルーノ・タウト(1880~1938)は、奈良家住宅を訪れ「太い柱が何本もある入口の土間が一番すぐれていた」と記している。一方、白川郷では、入り口の土間にこうした大黒柱が存在しない。
 炉・・・大黒柱の北側土間に大きな炉を切り、カマドを据える。左奥は、流しと湯殿。手前の土間を「ニワ」とも呼んだ。雪国の農家は、ニワ土間が特に広く、建築面積の半分以上を占めるものも少なくない。炉は、一般に「土間囲炉裏」とも呼ばれ、馬の飼料や味噌用の豆、山菜などの煮炊き用から暖房用、照明用として使用された。農作業着のまま、炉に足をかざし語らった。しかし、白川郷には、こうした土間の広い空間はなく、土間囲炉裏もない。
 囲炉裏上の空間は、吹き抜けの構造になっている。炉で薪に火を点けた煙は、広い土間の空間をゆっくりいぶしながら、天井へ抜けていく。それがために、全ての柱は黒く光っている。白川郷では、こうした吹き抜けの空間は存在しない。
 なんど・・・家長夫妻の寝室。布団を入れる押入れもある。階上は女中部屋で物置がわりにもなった。白川郷では、仏間と連続したデイが家長夫妻の寝室になっている。
 稲部屋・・・土間の突き当たりに、稲部屋がある。これは、刈り入れた稲を脱穀までの間置いたところ。白川郷では1階が生活空間で、2階より上は生産空間とはっきり分離されているのに対し、1階全てが生活と生産空間が一体化した構造となっている。このように同じ萱葺き民家とはいえ、驚くほどの違いがある。この大きな違いは、秋田の基幹産業が稲作であったのに対し、四方を屏風のような山々に囲まれた山峡では、ほとんど米がとれず、火薬の原料となる焔硝、養蚕、和紙などの換金作物が主産業であったからだと推測することもできる。つまり、同じ雪国と言っても秋田と飛騨・白川郷では、自然と風土が決定的に違っていることが分かる。
「結」による協同茅葺き作業
 昭和52年、屋根の葺き替え作業(合掌ミュージアムに展示していた写真)・・・合掌造り民家を維持するために重要な作業が茅の葺き替え作業だ。屋根は巨大で勾配が急なため大変な労力がかかる。さらに家には人が住んでいるので、暮らしに支障がないよう短期間で仕上げる必要がある。白川郷では、30~40年に一度、「結」と呼ばれる村人の協同作業で全面を葺き替える。わずか2日間で仕上げると言う。 
 長瀬家に展示していた平成の大屋根葺きのパネル(平成13年)・・・昔ながらの「結」による村総出の葺き替えは、村でも30年ぶりのこと。村人だけでなく全国からボランティアも駆けつけ総勢500人を超えたという。長瀬家は、平均的家屋の約二倍と大型で、片面一万二千束の茅を使った大規模な葺き替え作業は、NHKでも放映され話題を呼んだ。
 茅葺きに関する展示(合掌ミュージアム)

 カヤはかつてイネ科の植物・コガヤを使った。ススキに比べ背丈が低く茎丈が細い分、より詰まったカヤ屋根になる。これを使った屋根は80年も葺き替えを必要としなかったという。ただし、腐ったところは茅をさして補強する「サシガヤ」を行っていた。 
白川郷散歩
 畑の片隅に鈴なりに実をつけた柿の木が秋晴れの空に映え、田んぼには合掌造りのハサ小屋がポツンと建っている。のどかな山村風景が広がっている。
 集落内を流れる用水路。底まで見える清冽な流れが特に印象的だ。訪れる人々も光にキラキラ輝く清らかな水に感心していた。
 荻町の合掌集落は、周りを山に囲まれたわずかな空間に、川に沿って建てられている。渓谷を吹き抜ける強風を受け流すため、棟の方向は、谷の流れと同じ南北方向に建てられている。屋根の向きは一様に東西方向を向き、茅屋根をバランスよく乾燥させる。また、冬は大きな屋根の雪を早く解かす効果もあり、夏は涼しく、冬は暖かい。もちろん急傾斜の屋根は、積雪が多く雪質の重い自然条件に適合している。
 合掌造りの民家が連なる風景に、背後の山々と田んぼが調和した美しい景観。思わずカメラを構えたくなる風景が広がっている。
 ハサ小屋・・・秋に刈り取った稲や稗は屋根のあるハサ小屋にかけて乾燥させる。壁のない下の部分にハサを渡して収穫物を乾燥し、上の壁で囲まれた部分は作業場や物置として使用している。こうした小屋も屋根は合掌造りの民家と同じつくりになっている。
 石積みした美しい田んぼと茅葺き屋根の珍しい明善寺。
 茅葺きの鐘楼門と茅葺きの本堂がある明善寺。18世紀に建てられた浄土真宗の寺。
 早くも雪囲いをする光景も見られた。
 平成13年に屋根の葺き替えを終えた長瀬家の綺麗な屋根。屋根裏に採光と通気を確保するための切妻は、白い障子になっているが、戦前まではムシロだったという。
 長瀬家は、和田家と同様、一般公開されていた。五階建ての合掌造り家屋。長瀬家五代目当主が建造し、明治23年に完成。総床面積約600坪。茅葺き屋根に沿って流れる用水路は、雪を溶かすために使う。
 一階は主な生活の場、二階は使用人の寝所、三階から五階は養蚕などの作業場として利用された。囲炉裏の上に天井から吊るした棚は、火の粉が天井に上がるのを防止し、囲炉裏の熱を還流させ、周囲を暖める役目をしている。冬には、ワラ靴などを乗せて乾かしたり、川魚を串に刺して燻製を作ったりした。
 急な階段を登ると、二階、三階、四階へ。他の地方の茅葺き民家では、高い吹き抜け空間となっているが、合掌造りでは吹き抜けの空間がない。
 合掌の上に組まれた屋根下地に使われる部材は9種類にも及ぶ。これらの材は、全て縄やネソで結束され、台風や地震にも強く柔軟な仕組みになっている。ネソとは、マンサクのこと。これはよくたわむ材で、乾燥すればするほどよく締まる性質を利用したもの。ここにも先人たちの知恵が伺える。
 三階には生活用具を展示。
 四階は、農具・山仕事道具などを展示。このように集落内の各家や資料館には古い生活用具、生産用具など民俗文化財も豊富に保存されていて、昔の生活を知ることができる。歴史的な景観、合掌造り民家だけでなく、伝統的な「結」の制度や生活習慣、民俗資料がよく伝承されており、総合的に保存されている歴史的な集落として貴重な存在であることが分かる。
 屋根の内側の空間は、床に竹すのこを張り、一階の囲炉裏の煙や暖気が屋根裏まで届くように工夫されている。
 どぶろく祭りで名高い白川八幡神社。どぶろく祭りで郷土芸能が演じられる奉芸殿や酒造倉となる神酒殿などがある。
 鳥居傍らの大杉の巨木は、村指定の天然記念物。歴史の古さが伝わってくる。
 籠の渡し(飛騨・世界生活文化センター)・・・白川郷を流れる庄川は、昔から交通の難所で随所に籠の渡しがあった。川の両側に大縄を張り、吊るした籠に乗って渡す風景は、北斎や広重などが克明に描いている。(写真:飛騨・世界生活文化センター)
 ホンコサマ・・・飛騨で最も早く真宗が伝えられた白川郷には、昔ながらの三合飯が残っている。器から溢れんばかりの白いご飯は凄い。(写真:飛騨・世界生活文化センター)
 植えあがりの膳・・・白川郷と同じ「結」は、飛騨地方だけでなく日本各地の農村にあった。飛騨地方では、田植えが終わると、植えあがりの膳で祝った。青い朴葉の上にオニギリを乗せ、きな粉をかけた「きなこおにぎり」など。(写真:飛騨・世界生活文化センター)

 秘密裏に生産していた焔硝(えんしょう)・・・焔硝とは、鉄砲火薬の原料のこと。夏の間にヨモギ、アカソなどの草を刈り、養蚕の糞と土、人の尿などを混合させて床下で熟成させて作った。白川郷は江戸幕府、五箇山は加賀藩への上納品として奨励された。秘密が漏れにくい閉鎖的な地形に加え、水稲に不向きな山間奥地では、年貢米を焔硝で納めていた。遠山家では「明治の中頃まで数十名の大家族が居住し、焔硝、生糸生産を中心に生活」していたという記録がある。明治の初期には、40人以上の家族が一緒に暮らしていた。養蚕と焔硝生産が大型の合掌造り民家と40人を超す大家族制を生み出したと言われている。


白川郷が抱える新たな課題
 世界遺産に登録され、観光客が150万人の大台を超えたいう驚異的な数字と賑わいを見せる集落を散策していると、一見「都市と農村との共生・対流」を実現したかに見える。しかし、いいことばかりではないらしい。小さな村のキャパシティを遥かに超えた観光客の流入は、駐車場不足や交通渋滞、し尿処理の問題、指定コースに入っていない敷地への侵入、無断で家の中を覗かれるなどのプライバシー問題も起きているという。

 さらに、つつましく暮らしていた村の生活も一変、観光客相手にお金を稼ぎはじめると、村人の欲も増えてくる。集落内で経済格差が生まれ、「結」のもつ協同性が崩れる懸念も生じていると言う。美しい村づくりに終着駅がないのと同様、「都市と農村との共生・対流」を実現するのは殊の外難しいのが現実のようである。


世界遺産とは
 秋田県と青森県に広がる白神山地のブナ原生林、岐阜県と富山県にある合掌造りの白川郷・五箇山はともに世界遺産に登録されている。(写真は白神山地核心部、樹齢約300年ほどのブナ)

 1972年、ユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき「世界遺産リスト」に登録された物件が世界遺産である。この条約は、世界の貴重な自然や文化遺産を保護し、人類共通の財産として後世に継承していくことを目的にしている。2009年終了時点で、世界遺産リストには148カ国・890件が登録されている。日本の世界遺産は、1992年の条約批准以来、着実に数を増やし、現在14件(自然遺産3件、文化遺産11件)である。
 世界自然遺産白神山地の核心部、追良瀬川源流部からブナの原生林と白神岳、向白神岳を望む

 白神山地は、青森県西部から秋田県北西部にまたがる約13万haの広大な山域の総称である。このうち、原生的なブナ林約1万7千haが世界自然遺産に登録されている。白神山地の特徴は、奥が深く人跡稀な赤石川、追良瀬川、粕毛川などの原生流域が集中し、面的に連続したブナ原生林の面積が世界最大級で、ほぼ純林として分布している点である。

 ・・・こうしたブナ帯と呼ばれる地域には、狩猟を生業とした「マタギ」と呼ばれる人たちがいた。彼らは、自然に逆らわず、狩猟のほか、農業や炭焼き、キノコや山菜採り、川漁をしながら四季を通じてブナの恵みを享受してきた。山の神、田の神信仰や食と農から民俗文化に至るまで多様な文化を生み出し、代々受け継がれてきた。こうしたブナ帯の森に生きる生活・暮らしを総称して「ブナ帯文化」と呼んでいる。

 世界遺産条約の特筆すべきことは、自然と文化を対立するものではなく、むしろお互いに補完しあう関係にあるとしている点である。これは、白神山麓に生きる人々のブナ帯文化とも共通するものがある。現在日本の世界遺産は、自然遺産と文化遺産の二つに分かれているが、白神山地のブナ帯文化のように自然と文化は本来一体のものであり、複合遺産として登録すべきだという意見も少なくない。(以上「農業土木学会2003年3月号」、小講座「世界自然遺産」より抜粋)
 日本の世界文化遺産は11件・・・姫路城、法隆寺地域の仏教建造物、古都京都の文化財、白川郷・五箇山の合掌造り集落、原爆ドーム、厳島神社、古都奈良の文化財、日光の社寺、琉球王国のグスク及び関連遺産群、紀伊山地の霊場と参詣道、石見銀山遺跡とその文化的景観

 世界文化遺産としての価値・・・「・・・日本の農村の住居の形態は多様であるが、全体として見た場合、あるイメージのなかに集約される。すなわち、規模はあまり大きくなく、棟の高さも低く、屋根も傾斜がそれほど急ではなく(ほとんどの場合、勾配は45度以下)、地に伏せるような形で、自然に対峙せず、自然に融合するような姿である。これに対して、世界遺産である白川郷と五箇山地方の合掌造り家屋は、日本のどの地方にも見られない極めて特異な形態であり、また、日本で最も発達した合理的な民家の1つの形態であるといえる。

(1)他の地方の農家に比べて規模が大きく、屋根は勾配が60度近くもある急傾斜の茅葺きの切妻屋根であり、自然に対抗するようなイメージの外観を呈する。

(2)日本の一般的な民家では、小屋内は全く利用しないか、あるいは利用したとしても藁や茅などの資材をストックするといった消極的な利用であるが、合掌造り家屋では、小屋内を2~4層として、積極的に利用している。急勾配の屋根やサス構造の採用も小屋内の空間を大きく取るためのものであり、また、切妻屋根としたことで養蚕の作業場や桑の葉の収納場所などとしても、妻に開口部を設けて小屋内に風と光を確保するためである。これらのことは日本の中では極めて異例である。

(3)サス構造で切妻とし、急勾配としたことからくる構造上の弱点を屋根野地面に筋違いを入れて野地を一体化することによって補強している。この工夫も、他の地域では決して見ることのない技術である。」(世界遺産一覧表記載推薦書より抜粋)

 

 

▲白神山地に位置する秋田県峰浜村(現八峰町)の萱葺き民家群・手這坂集落

 上の写真は、萱葺き民家に住人が住んでいた当時の手這坂集落(旧峰浜村)。江戸時代の紀行家・菅江真澄が、手で這うような坂を下ると、突然、桃の花が咲き誇る村が現れ、その村の美しさに感動し「桃源郷」と称えたところ。世界自然遺産・白神山地に位置する市町村の中でも、ふるさとの原風景が残っている数少ない村であった。ところが、2000年に無人となり荒廃が進んでいた。村では、ボランティアを募って、菅江真澄ゆかりの萱葺き民家群を修復し、山村型のグリーンツーリズムなど村おこしに結び付けた「桃源郷復活大作戦」を展開している。世界的に貴重な自然だけでなく、白川郷のような風土、歴史、民俗文化を活かした美しい村づくりを期待したい。
参 考 文 献
「旅の森 日本の世界遺産」(昭文社)
「週間 日本遺産 白川郷・五箇山」(朝日新聞社)
「ひだ白川郷 古心巡礼」(白川村役場商工観光課)
「合掌ミュージアム」(岐阜県飛騨土地改良事務所)
「農業土木学会2003年3月号」小講座「世界自然遺産」(社団法人農業土木学会)

秋田花まるっ 元気通信

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