東なるせ歴史の道さんぽ
~仙北みちの里歩き~

平成25年11月16日(日)開催

主催:日本一美しい村づくり東成瀬協議会
平成25年度 都市農村共生・対流総合対策交付金事業

初雪を迎えた11月。例年になく降り積もった雪に、早い冬の到来を覚悟した人も多いでしょう。
東成瀬村も豪雪地帯のひとつ。10月に続き、第2弾となる東成瀬村へのツアーは、紅葉と雪景色を同時に楽しむツアーになりました。
今回のテーマは、「歴史」。秋田市内発着のバスに揺られて、東成瀬村の今昔を学ぶ旅に参加者の皆さんが集まりました。

 

◆行程 ………………………………………………………

秋田県庁・秋田駅東口出発 → 道の駅十文字 → ~東成瀬村~田子内橋 → 不動の滝・小貫山堰 → 平良山神社地震石 → 庚申塔・長溪山龍泉寺 → まるごと自然館 → 仙北道入口案内板首もげ地蔵・手倉御番所跡 → 蛭川清水 → (道の駅十文字) → 秋田駅東口・県庁(当初の予定より変更あり)

 
東成瀬村へようこそ
 
 

一日を通してガイドを務めてくれた、3名の皆さんの挨拶からツアースタート!

・写真左上)あきた山の學校代表:藤原優太郎さん

写真右上)仙北道を考える会会長:佐々木友信さん(現地スタッフ)
・写真左)まるごと自然館備前源一さん(現地スタッフ)

     
田子内橋
 

国道342号線を走り、東成瀬村に入って走ることわずか、田子内橋が見えてきます。

 

昭和10年、田子内橋は木造橋から当時では珍しい強固な鉄筋コンクリートアーチ橋に建て替えられました。以後、老朽化に伴う取り壊しの話も出ましたが、村人の思いと国の理解により、原型を生かしたまま昭和62年に改修、平成16年には国の登録有形文化財に指定されています。

 
 
     
不動の滝・小貫山堰

仙人修行の滝行で知られる「不動の滝」へ。紅葉と白い雪化粧に囲まれる間をしぶきを上げて勢いよく滝が流れ落ちます。

 
 
農業用水として地域の貴重な水源となっている小貫山堰が滝のすぐ脇に見えます。写真右は、国道342号線沿いで見た、この堰の建設に携わった「小貫山八九郎正成」の墓。東成瀬村から横手市増田町に及ぶ地域の今の稲作があるのは、この堰があるからこそ。「不動の滝」の裏側を通る穴堰の工事をたった一人で行ったと言われる苦労は想像がつかないとされ、偉人は今に語り継がれています。
 
平良山神社
伝統野菜「平良カブ」で知られる田子内地区の平良集落を訪れ、平良山神社を見学しました。
延享元年(1744)建立。祭神は山を司る大山祇神(おおやまずみのかみ)。これは、平良地区には山仕事をする人が多かったためと言われています。田子内地区にある他の天神社、志茂田神社、八坂神社、肴沢神社と同様 神社彫刻が素晴らしい。
     
 
肩、背、腕などで屋根の隅木を支えている力士像(写真右)。地元では四隅をしめくくるという意味で、「隅っこ背負い(すまっこしょい)」と呼ばれ、それぞれ寄進者の名が彫られているそうです。
   
本殿の四隅にある装飾彫刻を「木鼻」というそうですが、中でも「鷹木鼻(写真左)」は珍しいとのこと。ほかにも獏や猫などたくさんの動物が彫られています。
   
この神社は金具を一切使わずに、木のみで造られた素晴らしい建造物。このような地域の財産を「守ることが大事」とガイドの佐々木さん。地域住民の協力がなければ、ということでしょう。
地震石
 
バスの車窓から地震石を見ました。これは、昭和45年10月に発生した「秋田県南東部地震」の際に落石した岩石で、「災害は忘れた頃にやってくる」という心構えを日頃から忘れないようにとそのまま残されています。地元では、「しゃれ(去れ)石」とも呼ばれ、道路をふさぐように落下した石に向かって金剛様が「去れ!」と言ったら、今の地点に岩石が避けたとも言われているそうです。
     
庚申塔・長溪山龍泉寺
 
一行を乗せたバスは、ときどき写真のような「庚申」と刻まれた石碑の前で立ち止まりました。写真は、村内の中で最も大きな「庚申塔(こうしんとう)」で、岩井川集落の長渓山龍泉寺入り口にあります。
     
 
訪れた「長渓山龍泉寺」は、了翁道覚(現:秋田県湯沢市生まれ)が剃髪して仏門に入ったとされるお寺です。12歳から14歳にかけてこの寺で修行し、のちに「錦袋円(きんたいえん)」と名づけた万能薬を調合。多くの人を救い、その収入で全国に寺や図書館など施設を建てた功績があります。ほかにも「福神漬け」を考案したのも道覚と言われているとか。
面白い歴史が次から次に説明され、熱心にメモを取る方も。
 
お昼ごはん まるごと自然館

 

 

場所を「まるごと自然館(旧 椿川小学校)」に移し、お昼ごはんをいただきました。前回同様、地域のお母さんたちによるおもてなしです。参加者の皆さんも率先してお手伝いくださいました。

 

     
 
ごはん、太巻き、芋の子(里芋)汁、菊なめこ(なめこおろし)、わらびの煮付け、漬物とりんごが食卓を賑わせます。この日のおかずは、どれも冬のおかずの定番。「(近所の人たちが集まる)お茶飲みのときは、漬物3種類以上は出る」と、村の皆さん。
 
 
「新鮮な地物を土地の手料理でいただくことほど贅沢はないです」、「味付けがいい。お母さんたちが心をこめて作ってくれたのがわかりました」など、料理とおもてなしの両方を喜ぶ声が聞こえてきました。鈴木豊子さん(左)、鈴木喜志さん(右)、ありがとうございました。
 
仙北道入口案内板
 

ガイドは、エスコーター岳友会の谷藤広子さんです。
仙北道は手倉越とも呼ばれ、秋田から岩手の県境を通る、千年を超える歴史の道。その起源は平安時代までさかのぼり、当時は戦いの道として開かれましたが、のちに経済・文化・産業の道として賑わいを見せた、6里(24km)
に及ぶ古道です。
平成8年、秋田県東成瀬村で「仙北道を考える会」、平成10年、岩手県奥州市胆沢地区で「仙北街道を考える会」を結成。現在は、古道を刈り払い標柱を設置。その歴史的な古道を通して両町村の交流が続いているそうです。
*参照:千二百年の古道・仙北道をゆく

 
首もげ地蔵と手倉御番所跡
 

仙北道を少し歩き、「首もげ地蔵(写真右)」を見ました。この地は仙台領と接しているため、かつてここには関所と同じ役割を果たす番所がありました。番所破りをした者を処刑する直前、その罪人は地蔵様に手を合わせて念仏を唱えたそうですが、ある役人は罪人の首を切らずに地蔵様の首を切ったとのこと。その首は沼に埋もれてしまったそうです。罪と罰の重さに加えて人情の厚さが印象的なエピソードです。

 
 
手倉御番所跡も見に行きました。昭和7年に村道が県道に改修されたため、道路敷地となった御番所跡は、それっきり形を残すことはなく、ただ石碑となって歴史を語っています。
 
蛭川清水
 
ツアーを締めくくるのは、蛭川清水です。村の三大清水(ほかに五郎兵衛清水、栗駒仙人水)に数えられます。参加者の方も水を汲み、超軟水と言われる湧き水を味わいました。
 
 

■一日のツアーを無事に終えた皆さんから感想をいただきました。

 

・普段なかなか歩くことができないような所や車で素通りするような所を歩いたりしながら、地元のガイドの方たちの話が聞けて、本当にいい一日でした。地元のお母さんたちのおもてなしも受けて参加してよかったと思います。これからもこういった企画をぜひやっていただきたいと思います。ありがとうございました。

 

・学力日本一の東成瀬村。どこを見学しても原点はそこにあるのかなぁと思いました。どこを回っても驚くばかりですばらしく、このようなツアーがあれば次回も参加したいと思いました。そして企画して下さった事に御礼を申しあげます。ありがとうございました!!

  

・日頃あまり気にしない石碑や道も、ガイドさんの説明とともに見聞きすると遠い祖先から引き継がれて今に至る、というか、昔の人達の姿が想像できる気がして、今の時代を生きる者として大切にしなければいけないな、と思います。

 
 

東成瀬村の魅力は、「日本で最も美しい村」の名に相応しい自然ばかりでなく、今に語られる歴史もそのひとつ。それを紐解いてみれば、村のために穴堰をたった一人で掘り続けた者、複雑な彫刻を施し、丈夫な造りで神社を現代に残した職人、そして千年以上の歴史を語り継ぎ、同時に自然を大切に守る現代の人々など、人の魅力そのものに繋がる気がしたツアーでした。東成瀬村の皆さん、参加された皆さん、お疲れ様でした!