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 一人の若者が村に帰ってきた。亡くなった鷹匠土田力三さんの長男、一さん(当時28歳)である。力三さんの死によって、ただ一人の鷹匠となってしまった宇市郎さんのもとに若者が通うようになった。この若者は、祖父林之助、父力三の血を引いている。そう思う宇市郎さんは、教えることがいっぱいあった、と言う。

 武田宇市郎さんの「高槻号」は、狩りも上手、容姿にも優れていたが、昭和58年7月に病死、さらに12月には後継者・土田一さんの「高森号」も病死、鷹も生き物であることをしみじみと思い知らされたのであった。

 こうしてついに鷹匠とその後継者と目された若者の手からクマタカはいなくなり、二人の前にはますます厳しくなる「法」の壁が立ちはだかっていたのである。(野沢博美写真集「鷹匠」解説・小坂太郎より)

 

 

鷹匠の後継者誕生。父祖3代土田一さんが鷹匠をめざして、武田さんから鷹狩りの技法を学ぶ。

 

 

 

武田さんを師に3代目鷹匠を目指した青年と鷹狩りに出かける。彼の祖父・林之助さん、父・力三さんも鷹匠だった。「宇市郎さんが熱心に勧めてくれたし、伝統というか、鷹匠の血というか。そういったものを絶やすまい、と最近思うようになって…」と土田一さんは語る。

 

 

2月下旬から3月にかけて野ウサギの活動は活発になる。杉の根本を食い荒らし、木を枯らしてしまう。そこで有害獣駆除が猟銃、鷹匠、勢子の約10人のマタギ集団で行われる。
後継者・土田一さんとマタギたち。 マタギは、どんな悪条件でも焚き火に火を点けることができる。
狩りの後の一杯会。一発で仕留めた自慢話や悔しくも取り逃がした話が、ウサギ汁をつつきながら続く。酒が美味い時だ。 75年の足跡を刻む農民鷹匠、武田宇市郎さんの両手。厳しい自然と農業、冬の出稼ぎに耐え忍んできた、北の男の年輪。

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