由利本荘ひな街道・町中ひなめぐり

矢島に微笑むお雛様と出逢う~

 由利本荘市矢島は、かつて織田信長と同盟を結んだ生駒氏(大和国平群郡生駒の出身)が、四国より配流された地とされています。
 「由利本荘ひな街道」は、生駒氏ゆかりの雛道具や、藩主や旧家など由利地区の各家々に今も保管されているお雛様が特別公開されている企画展で、最終日の3/22(日・祝)、JR企画の「駅からハイキング」のコースに参加させていただきました。
 

【ルート】
 矢島駅に集合し、受付。駅構内では、矢島の特産品を売る地元の方々の温かい見送りが。そして出発式の後、スタート。
彼岸に寒の戻り、肌にあたる風は冷たいが、凛として澄み渡っている。曇り空の中、時折晴れ間がのぞく。 

 

 矢島駅(平成12年より現駅舎)は、木造建築のどっしりとした威厳と温かみを兼ね備えており、平成14年「東北の駅百選」に選定された。 

 旧駅舎(昭和13年に開業)は今やその役目を終え、横に佇み現駅舎の活躍を見守っている。

【佐藤酒造店】 

 明治40年創業「出羽の富士醸造元」の享保雛。江戸時代後期のものとされる。甘酒が振る舞われ、おかみさんの丁寧な説明があった。酒の試飲・販売もしている。
 “炭持てわたるもいとつきづきし”(枕草子)を彷彿とさせるような火桶
 

 

 

 【武田家 

 明治時代中期に「玉泉」の銘柄で酒造業を営んでいた、武田家の芥子雛。製作年代は不明だが保存状態が良く、芥子雛の特徴である艶やかな装束の様子がうかがえる。

【赤川祐一家(能面あり)

 

 先代の能面彫刻師(故)赤川祐平氏にゆかりのあるものや、「天寿」のテレビCMでも使用された面が展示。

【大井家のお雛様(トップ掲載写真も同様)

 江戸後期より酒造業を営んでいた大井家。大正5年建設の母屋は、平成16年に国登録有形文化財に指定。

  写真は、文久(1864年)購入の江戸時代の享保雛。

【山田家】

 酒田の指物職人だったという山田家。生駒家の「生駒車」が施された手棚などに目を惹かれるが、実際に使用されていた重箱や道具類なども興味深い。

 右写真は、普段使用している食器棚。

【天寿酒造】 

 

 明治初期の古今雛が、築180年の本宅に飾られている。菩提寺の17代住職の書の屏風が、圧巻。

 明治7年創業の酒蔵内部の見学も兼ねた。右上は、明日仕込む麹用の米。

【矢島郷土文化保存伝習施設内のお雛様と、鳥海山について】

 鳥海山は、「薬師如来」と「大物忌神」とを祀っているそうです(神仏習合)。「薬師如来」は言わずもがな、生きている人のための仏様で、大物忌神は斎戒に不吉不浄を忌む「巫女のような役目の女神」だといわれています(諸説あり)。
 もともと雛行事は、子供が生まれると「その子供の身代わりとなる人形(人型)を作って贈る風習が原型とされており、鳥海山麓の由利本荘地区で雛が大切にされているのは、それら神仏の恩恵を受けているからでしょうか。いずれ地区単位でこれだけの量が保存状態良く残されている事実は、江戸幕府に派手な行事を禁止された時代をも切り抜け、地域の人々が雛を大切に保存してきた証なのでしょう。ですから、現代の私たちも現在こうして見ることができるのです。

 【城下町として栄えた時期の面影を残す矢島】

  富田家の押絵。「押絵」は、平らな形に綿を詰めた布に、反故紙で裏地を貼ったもので、布と裏地に竹串を挟んで立てて飾る。江戸後期~戦前頃までは盛んに作られた。歌舞伎や浮世絵、お伽噺や縁起物などを題材としているものが多い。

 

 佐藤家の芥子雛。保存状態がとても良いため、芥子雛の特徴である艶やかな装束も生きている。 

 

 熊谷家の古今雛。酒田の資産家が京都より購入した雛。第二次世界大戦後、熊谷家に渡ったとされる。

 

【ひなめぐりを終えてみて】
 自分の足で歩き、現地の歴史文化に詳しい見どころ案内人の説明により、地域の特徴を足で感じ、「雛文化」を考える良い機会となりました。

 また、町全体が「雛行事」を通じて地域文化を次世代に受け継いでいこうという暗黙のうちにも統一した想いでいること、彼らの優しくも力強い気質のようなものが、ひしひしと伝わってきました。
 歴史的背景なども含めて「お雛様」を見た時、その美しさは、なお一層の輝きをもって映しだされることでしょう。

●「由利本荘ひな街道・町中ひなめぐり」由利本荘市観光協会
●「由利高原鉄道」
●「駅からハイキング」(JR東日本)駅からハイキング事務局

★おまけ★ 
 期間中、開催地で何度でも使用可能な「共通ひなめぐり券(300円)」。絵馬風で、絵柄も可愛い。
            県央担当 よどぎみでした。