2005年初冬・・・男鹿市北浦
 11月下旬~12月、鉛色の空に雷鳴がとどろき、みぞれ混じりの寒風が吹き荒れる頃、大波に乗ってハタハタの大群が産卵に寄って来る。今年の北浦漁港では、12月1日夜に先発隊、12月4日夕方には本隊が接岸。シケの日が多かったが、季節ハタハタ漁は豊漁で、しかも20cmを超える大型が多かった・・・「木枯らし吹きて 稲妻光る/舟人勇み 躍るハタハタ・・・」(「男鹿に寄せて」大場直利)・・・
▼鰰・ハタハタ・・・「鰰という魚は、冬の空かき曇り、海の上荒れて荒れて、なる神などすれば、喜びて、群れけるぞ。しかるゆえにや、世に、はたはた神という・・・文字の姿も魚と神とは並びたり」(菅江真澄記)

 秋田の初冬、雷が鳴る頃にハタハタが産卵のため沿岸に押し寄せる。これを見た人は、ハタハタは「雷の魚」すなわち「はたたがみうお」に違いないと考えた。いつの間にか、それが「ハタハタ」になったと言われている。漢字では、魚へんに神、または雷と表現され、名前の由来の名残をとどめている。
▼秋田産ハタハタは日本海北部系統群・・・青森県沖から新潟県沖まで回遊・移動し、秋田県沿岸を主な産卵場とするハタハタを日本海北部系統群という。一方、朝鮮半島東岸の北緯38度線付近を産卵場とし、鳥取県や島根県沖まで回遊する日本海西部系統群、大きく移動しないと考えられる北海道6系群に分かれる。
 秋田県産のハタハタが1匹1000円前後の高級魚になった時、鳥取・兵庫県産、北海道産、果ては韓国、北朝鮮から輸入したハタハタを食べていた。しかし、メスのブリコは、納豆のように粘らない。どう考えても秋田県産ハタハタの味と違う。もともと秋田のハタハタとは系統群が違うのだから、これも当然のことだったように思う。
▼浜に打ち上げられたブリコ(卵塊)の山(男鹿市北浦湯本)・・・ハタハタは、ブリコをホンダワラ類に大量に産み付ける。荒天で多くのブリコが砂浜に打ち上げられる現象が上の写真。これはハタハタの接岸量が多くなった証左。
 ピンポン玉大のブリコは、茶、緑、橙など変化に富んでいる。一卵塊の卵の数は600~2,500、重量は10~60グラム。卵は海水に触れると、相互に強い粘着性を示し、硬くて手で押しつぶすことは難しいほど。直径は、3~5cm前後と大きい。また,雪の中に一日おいても卵は死なないという。ブリコの漂着は、群がるカモメやカラスにとっても、ごちそうの山。
▼男鹿市北浦漁港・・・ハタハタ漁は、11月末から12月中旬までの約20日間。ハタハタは、北浦海岸に産卵に寄ってくる頃が、ブリコも成熟し粘り気が強い。秋田産ハタハタのブリコは、最も味がのり、粘り気が強いことから、メスの人気が圧倒的に高い。ハタハタの大群が押し寄せてくると、カモメの群れも押し寄せ、海の色まで変わる。
▼大漁のハタハタ・・・かつて北浦では、初漁に約2万5千箱(1箱11kg入)の水揚げがあり、大漁日は箱不足に悩まされたほど。最盛期には、450前後の網を仕掛け、240隻の船が漁に出た。最盛期の昭和41年には、2万トンをこえ、秋田県の総漁獲量の66%を占めた。ところが無尽蔵と思われたハタハタが突然姿を消す。平成3年には、わずか72トン、幻の魚と化した。
 海の魚と言えども無尽蔵ではない・・・禁漁の3年間、漁師たちはただ指をくわえて日本海の荒海を眺めるしかなかった。「漁獲量は、資源量の半分以下に抑えれば、ハタハタ資源量は順調に増えるはず」との予想は的中した。
 初冬の男鹿、カモメが舞う北浦では、一家総出のハタハタ漁で賑わう。「ハタハタ来たどぉ~」となると、漁師たちは、西風の厳しい雪や雨混じりの沖へ出る。漁は、夜10時から明け方の2時、3時ころまで行われる。船が一杯になったら浜に戻り、選別、箱詰め作業が行われる。
 船から海水に混じったハタハタをホースで陸へ圧送する。写真左の選別台に送られたハタハタをオス、メスなどに選別する。

 昔は・・・舟べりと浜に幅一尺、長さ二~三間の歩み板で橋をかけた。女たちは、背負い箱に、満杯になった舟のハタハタをタモで汲んで入れては、歩み板を渡って陸へ運んだ。
 浜には馬を引いた船越からの仲買人が来ていた。生ものだけに早くさばかないと腐ってしまう。買い叩かれることも少なくなかったが、すぐ売る交渉をして売り渡した。そしてハタハタは、馬の背中に左右二かます(1かます二斗)ずつ振り分け運ばれた。舟が空になると、男たちはまた海に引き返してハタハタ漁を繰り返した。

 「ハタハタの駄づけをしたる 幾百の馬通る様 まなぶたに見ゆ」(吉田茂雄・歌人)
 「浜一面の大漁になると、岩浜にムシロで囲った魚壷を作ってハタハタを山積みにした風景も忘れられないし、家では土間にムシロを敷いてハタハタづくり、塩漬け、糠漬け、頭のささ身だけを切り取って麹で漬け込み塩汁を作ったりしました。

 シケで荒れると大漁になるので無理して、死んだ人たちもおりました。また37,8年頃には、ワッカでのすくい網も随分使われて、女や子どもでも結構な漁があり、私もトラックに積んで農村部落へ何度となく売りに出掛け、ハタハタがないと年越しが出来ないもののようにみんな買ってくれました」(菊地琴・八森町網元夫人)
 「胴間より溢れしめたるハタハタを 海に落として船帰り来る」
 「1箱200円がたちまちに100円に下がりて さばかれてゆくハタハタ」(吉田茂雄・歌人)
 選別されたメスのハタハタを計量し、氷の入った発泡スチロールの魚箱に入れる。かつては1箱11kg入りだったが、今は3~4kg入りへと大幅に減った。
 もともとハタハタは、1匹単位で買う魚ではなく、箱単位で買う魚・・・たとえ4kg入りのハタハタでも大漁復活でやっと庶民的な価格になった。今や、箱単位で飛ぶように売れるようになった。
▼なまはげ膳とハタハタ・・・主人は、神としてのなまはげに「おめでとう」とあいさつを交わした後、来訪をねぎらい、酒をすすめ、「なまはげ膳」と呼ばれる料理でもてなす。料理は、すしハタハタ、ハタハタを焼いて干したものを水に戻して、フキやニンジン、アンプラなどと煮た煮付け、ブリコを乗せた大根なます、ゴボウのでんぶ、煮豆、サメの刺身など、その年の稔りの品々をお膳に並べる。

 1月6日、航路の安全を祈願する船魂の行事では、餅、鮨ハタハタ、焼き魚、ブリコなますなどをお膳に並べて供える。
 ハタハタが幻の魚と化した1991年(平成3年)、「ハタハタの海」(八柳吉彦著、秋田魁新報社)が発刊された。その本の中に小学校5年生の平賀幸二君の作文「魚とりょうしの戦い」という作文が掲載されている。

 「ハタハタの町北浦と、言うのは昔のことで今は、ほとんど取れません。むかしは、ハタハタがありあまるほど取れて、1箱50円とかだったそうです。ハタハタは、カミナリが鳴るといっぱい取れるという言い伝えがありました。
 ・・・北浦の人にとっては、ハタハタは、神さまみたいに、大切だったんだと思います。ぼくのおばあさんが、北浦そだちなので、ハタハタがいっぱい取れる時は、漁師に手伝ってごほうびに、魚をもらって食べたそうです。
 そして海辺に行っては、ブリコをひろって来たと、おしえてくれました。ぼくも、そうゆうことをしてみたいので、ハタハタが、またよみがえってもどって来てほしいです。・・・今の漁師は、こまっています。ここで一発ハタハタの群れが、北浦に永久に、いてくれる・・・魚がたくさん取れるという町にしたいです。」
 この作文に記されているとおり、ハタハタの復活は、大人から子どもまで大きな、大きな夢だった。「ウミネコが舞う銀色の海/押し寄せるハタハタ/浜一杯に/いつかきっと/いつかまた」(「ハタハタの海」八柳吉彦著)

 2005年12月18日、押し寄せるハタハタに群がる幾千のカモメが群れ飛ぶ日本海、その豊饒の海に、大きな、大きな夢の虹が架かった。
ハタハタの食べ方・・・日本の食生活全集5「聞き書 秋田の食事」(農文協)より
▼ハタハタ漁最盛期の料理(男鹿)・・・ハタハタをショッツルで大鍋に煮たり、塩ふりして囲炉裏の炭火の周りに並べ、焼け次第、何十匹でも食べられるようにしておく。しかし、漁に「ミソ」をつけない縁起をかついで、ハタハタの味噌田楽だけは「切り上げ」の日だけ食べた。

▼塩ふり焼き・・・ハタハタの頭、腹わたをとり、塩をふって串にさし、オキのたまった囲炉裏に立てて焼く。焼けしだい、串を抜いて食べる。

▼でんがく、味噌味焼き・・・ハタハタを串刺しにして素焼きにし、表面が乾いた頃、サンショウ味噌を塗り、いくぶん焦げ目がつくくらいまで焼いて食べる。もう一つの味噌味焼きは、頭と腸をとり、味噌をからめて一晩おく。翌日、味噌を手でしごいて落とし、串に刺して焼く。

▼しょっつる煮、味噌煮・・・ハタハタを煮る時は、大鍋にたくさん煮るのが味を良くする方法。頭と腹わた、尾をとって鍋に入れ、かぶるくらいの水を入れて、煮たってきたら、しょっつるか味噌で味付けする。汁とともに、何杯でもお代わりして食べる。

▼押しブリコ・・・ハタハタの腹をしぼってブリコ(魚卵)を出し、浅い木箱に並べ、表面をならして、そのまま海水の入った桶に30分ほどつけ、一枚の板のように固くする。これをすだれの上に並べて半日ほどおき、ざっと乾かす。
 この押しブリコを何枚も作っておき、大根、ニンジンのナマスにちぎって入れ、ブリコナマスにする。またノビルの根を干しておいたものをすり鉢でつぶし、味噌を加えてよくすり、これで和える。ネギを刻んで入れたブリコの酢味噌和えも美味い。

▼玉ブリコ・・・藻に産みつけられ固くなったブリコが波打ち際に寄せられているのをひろってきて、ミゴ縄に通して数珠のようにしたものを「玉ブリコ」という。これを、そのまま下げてとっておき、押しブリコと同じように使う。

▼ハタハタ白子・・・白子だけを小鍋に入れ、しょっつるや味噌で煮て食べる。また、白子に塩を入れて漬けておき、なれてきたら、麹を加えて時々かき混ぜ、塩辛にして、酒の肴や熱いご飯のおかずにして食べる。

▼干しハタハタの昆布巻き・・・大量にとれたハタハタは、一部を目刺しにし、浜風を利用して乾燥させ、とっておく。これをさっとあぶってそのまま食べることもある。一般には、干したハタハタを水に浸けてもどしてから、細目昆布でクルクルと巻き、細くさいた昆布で結び、鍋に並べてかぶるくらい水を入れ、やわらかくなるまでゆっくり煮て、味噌のたまりで味付けする。

▼ハタハタの水あぶり・・・生のハタハタを串に刺して焼き、そのままベンケイに刺して保存する。これを「ハタハタの水あぶり」という。調理は、水にもどし、フキ、ニンジン、じゃがいもなどと煮付け、タマリで味付けする。年取りのお膳にはなくてはならないものの一つ。

▼ハタハタ寿司・・・木箱一つ分のハタハタに、酢4合、米一升、麹一升、塩4合くらいが標準。塩水で洗いヌメリをとる。頭、内臓、尾を切り取り、薄塩で3日間下漬けにする。これを水洗いし、酢に二日間ほど浸す。炊いたご飯と麹をよくかき混ぜ、冷ます。これに少量の塩と砂糖を加えてかき回し二日間ほどおく。酢に入れたハタハタを水洗いし、一匹を3~4つにぶつ切りにする。

 ニンジンやカブを薄く花形や短冊に切る。樽に笹の葉を敷き、ハタハタを並べ、ご飯、野菜、ハタハタと交互に重ねて漬け込む。笹の葉を上蓋の下に敷き、材料と同じくらいの重さの重石を載せ、漬け汁が上がってきたら、重石を半分にして保存する。約1ヶ月ほどで食べられる。ハタハタの飯寿司は、骨まで食べられる。こうした手間を惜しまず、丹精込めて作ったハタハタ寿司は、どこの家でも正月から冬の間中食べた。

▼ハタハタの保存法・・・塩漬け、麹漬け、押しブリコ、白子塩辛、ショッツル、ハタハタ寿司、干し魚など、保存法も多様で、冬の間中食べた。ハタハタは、厳しい冬の到来とともに、大群となって押し寄せてきただけに、雪国秋田にとっては、これ以上ないご馳走であり、「冬魚の王様」だった。
参考文献
「ハタハタの海」(八柳吉彦著、秋田魁新報社)
「県の魚 ハタハタ(平成14年12月6日制定)」(秋田県)
日本の食生活全集5「聞き書 秋田の食事」(農文協)

秋田花まるっ 元気通信

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