▲風衝草原(薬師岳)のお花畑から袖川沢と仙北平野を望む

 秋田県内で最も広い原生林が残っている山域が、和賀山塊である。
 和賀山塊は、盟主・和賀岳(1,440m)をはじめ、羽後朝日岳(1,376m)、小杉山(1,229m)、白岩岳(1,177m)、モッコ岳(1,278m)など、千メートルを越す山々に囲まれ、堀内沢、生保内川、シトナイ川、部名垂沢、行太沢、大相沢、袖川沢が競り上がっている。原生林の面積は、秋田県側だけで1万haを超える。

 和賀岳や薬師岳などは、古くから山岳信仰の対象として有名であったが、羽後朝日岳は、長い間広く世に知られる山ではなかった。仙北マタギの狩猟の舞台ではあったが、登山としては見捨てられてきた秘境の山、それが羽後朝日岳である。それだけに、人を寄せ付けない険しい地形であり、貴重な動植物の宝庫でもある。

 山の頂上からの遠望は、女性的でやさしい印象を受けるが、近づけば、急峻な地形と荒々しい沢に驚かされる。今では、沢登りや山岳渓流愛好家たちの間で、原始性と秘境の面影を残す山塊として、全国的に有名な名渓の一つに数えられている。

 さらに日本一のブナが次々と発見されたことで、一躍脚光を浴びるようになったが、かつては山のプロと言われる仙北マタギなど、ごく限られた者のみが許される世界であった。それぞれの沢の奥には、現在でも道はなく、地形も険しいために、一般人が入ることは危険であることを付け加えておきたい。
▲日本最大のブナ(秋田県角館町、白岩岳)
 幹周り10.1m、樹高25m、推定樹齢700年以上。近づけば、思わず拝んでしまうほどの迫力がある。まさに「森の神」と呼ぶにふさわしい。

 和賀山塊は、日本最大のブナをはじめ、全国ベスト3をここだけで独占している。さらに、日本一のクリやクロベも発見されている。和賀山塊は、まさに「巨樹の森のチャンピオン」と言える。
▲日本一のクリ
 日本一のクリの木は、幹周り8.13m。推定樹齢は、800年。山側は、巨大な空洞となっている。このクリの実を食べれば、きっと不老長寿になる、そんな気にさせる神木だ。地元の案内人がなければ、こうした巨木に会うことは難しい。
▲日本第二のブナ(秋田県田沢湖町、小影山)
 幹周り8.1m。日本一のブナは、明らかに老木だが、第二のブナは、年齢を感じさせないくらい若々しい。
▲天然秋田杉の巨木
 和賀山塊は、樹種も豊富だ。同じ原生林でも、ブナが圧倒的に多い白神山地とは対照的な混交林であり、特に天然秋田杉の巨木は素晴らしい。原始のたたずまいを残す昔の山を体験するには、最高の場所と言える。
▲秘境の山・羽後朝日岳を源流とする堀内沢上流マンダノ沢
 上の写真は、苔むした巨岩が累積、その天上から清冽な瀑布が降り注ぐ堀内沢上流マンダノ沢である。度肝を抜くような巨岩が累積した険しい沢であるが、その原始性は見事というほかない。ただし、沢登りの技術をもち、野営覚悟でなければ見ることが出来ない世界だ。

 源流部の枝沢は、八龍沢、天狗の沢、蛇体淵など、「龍」とか「天狗」とか「蛇」といった獣のような名前が並んでいる。昔から人を寄せ付けなかったことがよくわかる。
▲ブナの巨樹
 苔蒸した樹肌に太古の息吹を感じる。和賀山塊にどうして、こんな巨木が多いのだろうか。その秘密は、奥羽山脈にある。太平洋側から吹き上げるヤマセを遮り、峰を越えると、仙北平野に豊作をもたらしてきた「宝風」と同じ現象ではないだろうか。
▲百尋の滝
 日本最大の巨樹の森から、涸れることなく湧き出す行太沢に懸かる滝。落差はおよそ60m。この上流左岸に、日本一のブナが鎮座している。
▲天然秋田杉
 真木真昼県立自然公園、白岩岳や薬師岳を源に発する斉内川支流袖川沢の天然秋田杉。ここも、かつてはマタギや山人たちだけが歩いていた秘境の山であったが、昭和47年、全日本登山体育大会の会場となったのを契機に、手つかずの自然が残る山として全国に知られるようになった。
▲ワニ奇岩4 m滝(堀内沢)・・・滝の中央に突き出した岩は、左岸側からみるとカバにみえるが、側からみるとやはりワニに似ている。現在は、岩の先端部分が崩落し、昔の面影がなくなった。 ▲堀内沢名物・三角錐の岩峰・・・渓の真ん中に、流れを二分するように巨大な岩が立っている。氷河に侵食されたような様な三角錐の岩峰を見れば、誰しも登ってみたい衝動に駆られる不思議な岩峰である。
▲マンダノ沢、ゴーロ滝
▲マンダノ沢、二条10mの滝 ▲ゴーロ連瀑帯終点に懸かる二条の滝
 堀内沢は、標高410mでマンダノ沢と八滝沢に分かれる。深山幽谷の滝は、この二又より上流部が核心部である。深山幽谷に懸かる美しい滝が連続し、その美しさは県内随一である。幽谷の滝を撮りたい人にとっては、最高のフィールドであるが、沢登りの技術と数泊の野営を覚悟しないと、見ることも撮ることもできないので注意。
▲マンダノ沢、6m滝 ▲神が宿る蛇体淵(マンダノ沢)

 マンダノ沢と八滝沢が合流する二又から高度差約400m、距離2km余りに及ぶゴーロ連瀑帯を過ぎると、急に谷は開け、別天地のように穏やかな蛇体淵に辿り着く。かつては、落差10mもあり、淵は蛇のように蛇行していた。いつしか流木に堰き止められ、土砂が堆積したために、その姿が一変したという。
▲八滝沢、F1の滝 ▲八滝沢F2、赤岩の滝5m
 国土地理院の地図には「八龍沢」となっているが、マタギは「八滝(やたき)沢」と呼んでいる。その名のとおり、滝が連続する険谷である。
▲八滝沢ゴルジュ帯に懸かる小滝・・・連続する滝を一挙に高巻き、幽谷に降り立つ。狭い峡谷に朝陽が降り注ぐ絶景が目の前に広がった。手前の壷の水面が光にキラキラと輝き、奥に光のシャワーが谷に降り注いでいる。声を失うほどの美わしさとは、こんな美の極地を言うのだろう。 ▲八滝沢F5のゴルジュ滝・・・増水した八滝沢は手強い。暗い狭谷を豪快に落下する飛瀑に飛び込み、直登するも滝の飛瀑が容赦なく身体にふりかかる。それでも負けじと攀じ登っていく・・・これまた快感・・・沢歩きは、これだから楽しい。
▲八滝沢F13、くの字ナメ滝4m・・・わざと滝の流芯を歩き、聖なる飛沫を全身に浴びて登る。噴出す汗がスッーと引き、身がキリリと引き締まる。疲れた体に気合を入れるにも絶大な効果がある。 ▲オイの沢源流、シャクジョウの大滝・・・オイの沢の源頭には、「シャクジョウの森」と呼ばれる両サイド絶壁のヤセ尾根がある。そのヤセ尾根を源に発するオイの沢左俣源流に、落差が30mを超える大滝がある。葉陰越しに見える長大な瀑布はお見事というほかない。
 ミネラルをたっぷり含んだ、本物の名水を飲む。夏でも冷たく美味い。(生保内川支流シトナイ沢)  この清冽な流れは、秋田県最大の穀倉地帯、仙北平野を潤す。同じ県内の「あきたこまち」でも、仙北の米はひときわ美味い。その美味さの秘密の一つが、原始性をとどめた本物の自然と美味しい水にあるのではないだろうか。
 和賀山塊も山菜の宝庫、何でも揃う。タケノコ、ウド、シドケ、ホンナ、アイコ。  和賀山塊の深山で見つけた、珍しい純白のシラネアオイ(突然変異)。マニアにとっては高嶺の花だが、山野草は山で鑑賞してこそ価値がある。山野草は、採るのではなく写真を撮るだけにしたいもの。
▲薬師岳と風衝草原のお花畑
 この尾根のお花畑は、秋田県・袖川沢と岩手県和賀川の分水嶺にある。尾根を吹き上げる風が強く、木が全く育たず草原となっている。こうした草原を風衝草原と呼ぶ。ニッコウキスゲとイブキトラノオの群落は必見の価値がある。
▲秘境・和賀山塊を代表する山・羽後朝日岳(1376m)
 主峰和賀岳(1440m)や白岩岳(1177m)、薬師岳(1218m)には登山道があるものの、第二の高峰・羽後朝日岳(1376m)には登山道もなく、広大な和賀山塊の中でも最も原始性に富んでいる。それだけに堀内沢マンダノ沢源流を詰め、孤高の羽後朝日岳山頂に登るルートは、遡行の満足度が高い。

遡行ルート・・・和賀山塊・堀内沢〜マンダノ沢〜天狗の沢〜羽後朝日岳〜部名垂沢下降