米づくりの村 母の面影 田んぼの学校 過酷な労働 実りの秋
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Life of village 4
おじいさん、おばあさん、息子夫婦、そしてたくさんの子供たち・・・
質素な食事だが、心温まる暮らしが生きていた。

飯のおかずは、きゅうり、なす、だいこん、かぶなどだったが
酒盛りのときに食べる高菜漬は上等だった。
野菜がなくなると、たくあん一品になった。
薪の山出し。冬の屋外の作業は、寒さとの闘いであった。

昔の米づくりは、随分手間がかかったものだった。初雪が降るころになって、ようやくできあがった。
休みは、草取りの終わった盆と稲刈り後の数日、それに正月だけだった。
正月休みが終わると堆肥運びがあり、雪が少なくなると、堆肥の積み替え
馬や牛の世話もしたし、畑仕事も多い・・・
このように百姓は年中忙しかった。
冬、外の仕事は、柴切りや薪割り、家の中ではワラ仕事が待っていた。
写真左は、休みにギターを弾いている若者。右のギターを弾いている若者が
被っているワラの帽子は、吹雪の猛烈な時や雪上の日射の激しい時など、
顔面を保護するために優れたワラの被り物・ウマノツラ。
ワラや焚きつけ用の豆殻を外で貯蔵する際、積んだものにトマで被いをしたものをニオと呼ぶ。晩秋から冬の農村の風物詩だった。 百姓の心と郷土愛に培われた歴史は、「わらと生活」を抜きにして語ることは出来ない・・・。(後松州造)
ワラ打ち台に乗せてキネでたたく「ワラうち」。前の晩ワラの根本に少し水を含ませ、ワラを逆さに立てておく。一夜すると、水気はワラ全体に浸み柔らかくなる。それから打てば、強靭な繊維組織の束になる。 囲炉裏のそばでムシロを織っている。ムシロを織る道具は、全部木製の機械でムシロバタと呼んだ。
納屋に吊るされた干し餅と正月に供えた鏡餅。春から貴重なおやつにした。 その当時、ワラ仕事は1日100円の稼ぎになった。おばあさんが、ワラで炭俵を編んでいる。
 腰の曲がった労農、過酷な百姓の歴史を物語る。
 柳田国男は、「雪国の民俗」の中で、土に生きる人々を次のように記している。

 石のようにむっつりして愛想がないが、
 あふれる暖かさを眼にたたえ、
 静かな喜びを口元に含み、
 そして牛のような粘り強さを皺に刻み込み
 父祖から受け継いだたくましい精力を皮膚に光らせた顔。
 都会人がとっくに失ったものを、
 この人たちは根強く持ち続けている。
 これが日本人のほんとうの表情であろう。

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