秋田花まるっグリーン・ツーリズム推進協議会ブログ

~山の神社 小屋コ焼き~住民の願いと思い

          山の神社 小屋コ焼き
     燃え上がる炎に願いを込めて。


横手市赤坂字城野岡地区。
この地区の小高い丘の上に雑木林があります。この中にひっそりと佇む、古い山神神社
鬱蒼とした木々に囲まれ、日中でもひんやりした空気が漂う場所。そして夜はまるで幕に覆われたかのような暗闇となります。


山の神の年取りの日
毎年12月12日、この神社前で、高く積み上げたワラに点火し、勢いよく燃え上がった炎に対し、その年の豊作への感謝の意と次の年の豊穣を願う、「山の神社小屋コ焼き」という行事が行われています。
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炎が燃え上がるまで・・・


当日の早朝、城野岡の皆さんが山神神社に集合。生木を円錐状に骨組みし、前もって集めていたワラでその周りを覆っていきます。高さは7?8メートルほど。
この行事は城野岡地区を上、中、下の三地区に分け、毎年交代制で実施されていますが、このワラの収集には集落全体の協力が必要だそうです。その量は軽トラックの荷台、約4台分。


時代の流れに伴って登場したコンバインにより、ワラ集めに一苦労するそうです。
小屋コ焼き行事を念頭に置き、必然的に稲刈りは一部手刈りが求められます。
便利なものが登場すれば、既存のものに不便を感じ、何かが失われてゆく。しかし、城野岡の皆さんはこの小屋コ焼き行事の継承を止めることなく、大切に守ってきました。
作業が終盤に差し掛かると、円錐のてっぺんには脚立を使ってもワラが届かない!
でも、もっと高く!もっと高く!
「よし!オレが!」と誰もが意気込んで天高くワラを放り投げると、そこかしこから大きな笑い声や歓声が聞こえてきました。子供の頃から慣れ親しんだ、この行事。童心に返って、かつての行事の楽しみ方にスイッチが入ったよう。
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午後7時 点火

雨を浴びたワラへの点火に手こずったものの、一瞬のうちに火は積み上げたワラと同様、高く燃え上がります。午前中に小屋コ焼き作りに集まった皆さんに加え、城野岡の皆さんが間近で炎に願いを込めようと集まってきました。


炎を見上げる、城野岡の皆さん。
「遠くに住んでる孫に見せてやるんだ」と携帯電話をかざした女性や、友達同士で行事に参加した若い女性たち。
大きな炎に歓声が沸いたかと思えば、静かに、静かに、ただ炎を見つめる時が訪れました。一人ひとりが心を吸い取られたかのように、もしくは願いを唱えるように。

境内では参拝客にお神酒が注がれました。
無事に小屋コ焼き行事を終え、穏やかな気持ちでその一年を振り返り、またやってくる新しい年への大きな期待が語られたのではないでしょうか。
きっと今年も山の神が城野岡を見守ってくれることでしょう。


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小屋コ焼きの昔と今


集落民によって大切に継承され続け、後世に伝えていきたい「小屋コ焼き」という伝統行事について、城野岡地区の町内会長を務める
藤井一郎さんが案内してくださいました。
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かたち変えども、伝えてゆくもの
そのむかし…
以前は「小屋コ焼き」という名称が語るように、切ってきた生木を2階造りの小屋に見立てるように骨組みし、そこにワラをかぶせて作ったそうです。
ワラ集めは集落の子供たちの仕事。
その任務に嫌な顔一つせず、家々を駆け回って集めたそうです。
友達との遊びに明け暮れる時代。当時の子供たちがはしゃぎながら、ワラ集めをした様子が目に浮かびます。ご近所同士の交流がごく当たり前に、しかも深く根付いていた時代。その交流に大人と子供の隔たりもなく。


また、藤井さんが子供のころは、このワラの燃え残りが競売にかけられたそうです。
当時は肥料として利用されていたとか。先人たちの知恵、巧妙な技ゆえ、現在も城野岡には多くの田畑が残ります。
「オラ達が子供の頃のこの行事は、小屋の中で子供が遊んでるどこさ、大人に火を点けられて、それを必死に消すどごから始まったんだ。
それを繰り返してるうちに炎が大きくなってきて小屋の中から逃げるんだども、それが面白くって。そのやり取りが風習であったんだけどな」と案内しながら子供の頃を思い出す藤井さん。今はその風習は行わず、小屋コ焼きのみが継承されています。
「オラ達が子供の頃はゲームなんてないし、近所の子供みんなで遊んだもんだ。だから、夜に集まるこの行事なんて本当に楽しみでならねがった」と。
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時代流れど、変わらぬ願い
夜の山神神社は足場も分からないほどの暗闇。この暗闇の中で燃え上がる炎に、先人達は五穀豊穣を願ったほか、火の燃え具合を見て次の年の作占いをしたり、火災が起こらないようにとの火伏せ願掛け行事も兼ねて行ったとのこと。過去にたった一度、この行事を怠った年に限ってこの地区で火災が起きたそうです。改めて、山の神を恐れ、崇めるきっかけになったのかもしれません。
また、この城野岡地区では米だけでなく、りんごやぶどうが収穫されています。安全に暮らせることへの願いや作物の豊作を願う気持ちに時代の移り変わりは関係なく、小屋コ焼き行事が根強く継承されてきた理由が見えました。
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この行事に対する思いは子供の頃と比べてどう変わりましたか、と藤井さんに尋ねると、
「昔は楽しみな行事の一つ。今はワラを集めるのも大変だし、子供も少なくなってしまったけど、やらねば!という責任を感じる」とお話し下さいました。
「継承していく責任」確かに藤井さんが背負っているものに変わりはありませんが、決して義務感で行っているようにはどうしても思えませんでした。きっと、それは藤井さん自身がこの行事を「やってやるぞ」という気持ちの裏で、終始、城野岡の皆さんと楽しんでいる姿を目にしたせいでしょう。
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城野岡の土地に抱く思い
昔からこの城野岡に住む人、新しく移り住んできた人。その間にこの土地へ寄せる思いにひょっとすると溝はあるかもしれません。しかし、藤井さんは新しい人たちにもどんどん町内行事に参加してほしい、とも言っていました。それは、藤井さんだけではなく、ずっとここに住んでいる人たちに共通する思いです。
「せっかく城野岡に縁があって来てもらったからには
地域ぐるみの付き合いがしたい。」

そんなふうに、この土地の方々は城野岡に愛着をもち、もっとよく知ってもらいたいと思っているのです。そして、この土地に愛着がなければ、小屋コ焼きという小さな伝統行事の炎はとうに消えてなくなっていたのではないでしょうか。
昨年も例年どおり、この行事が執り行われました。土地に愛着のある方々が岡の上に集まり、勢いよく燃え上がる炎を見上げ、ただ静かに、でも強い思いでそれぞれの願いを祈りました。
農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰があるそうです。地域に愛され、祀られ続ける山神様。きっとこの一年も城野岡を見守り、豊作に導くに違いありません。
                               県南担当 けこさん

2010年2月1日20:01 | 県南情報 | Trackbacks (0)

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